2013/09/24 カテゴリー: Current Affairs, Life, Web/Tech | 個別ページ | コメント (0)
2020/11/20 カテゴリー: Current Affairs, Life | 個別ページ | コメント (0)
Dr. Johnは1941年11月生まれ、ということで今夕はドクターの1992年の「Goin' Back to New Orleans」(右)を聴いてから、1978年 の「City Lights」(左)を聴いている。
レコーディング時期、逆じゃね?
というのがどっちも何度も聴いたアルバムだけれど、正直なところ。
前者は、生まれ育ったニューオーリンズにもろもろあって居ずらくなって西海岸などに逃避していたドクターが、戻ってきて地元のミュージシャンと録音したアルバム。後者は、売り出し中のドクターを当時絶好調だったニューヨークのファーストコール(真っ先に声がかかるスタジオミュージシャン)達が歓待している、というアルバム。
これは、ニューオーリンズのアーシーで伝統的な音の普遍性と、70年代に勃興したニューヨークのフュージョン系の音、というものを端的に示しているのではないか、ということだろうねw
で、どっちも、いま聞いても素晴らしい。さらに、ドクターを通じてこういうことが見えてくる、というのもドクターのドクターたるところだな。
もちろん、Gamboはじめとした傑作はあるんだけれど、それはそれとして。
※Facebookとは連携していないので、FBに投稿したものをこちらにも。
もろもろの事情で、ま、はっきりいえばG様主導による無駄とも思えるインターネット業界挙げてのセキュリティ強化のおかげで、画像が表示されなくなっていたブログの画像を復活させた。
ブログは、ブログサービス上に構築してあるのだが、以前は、独自ドメイン「ttana.be」にドメインマッピングしたうえで、サブドメインやディレクトリで複数のブログを割り当てたりしていた。
ttana.be の下でなかなか良い感じに配置できていたのだが、この手の単なる個人のリードオンリーのブログにまで、httpsにしないとイカン、そのドメインマッピングの仕方はイカン、などと過剰とも思えるセキュリティ仕様になってしまった。このため、一時期、すべてのブログにアクセスできなくなっていた。
とりあえず、ttana.be はドメインだけで実体は何もないので、httpsにする気にはならない(金もかかる)。そういうわけで、ドメインマッピングを外して、すべてのブログをhttpsで始まるブログサービスの素のURで表示・指定するようにした(このブログもそうである)。これで、アクセスできない状況は解消したものの、エントリー内の画像ファイルのURLが ttana.be のままなので、画像が表示されない状態だった。
実際の作業は、ブログの管理画面から「エクスポート」で全エントリーのデータをローカルファイルにバックアップ。そのファイルをエディタで開いて、ファイル内の ttana.be をブログサービスのドメインに全置換。その後、元のブログのエントリーを全部削除してから「インポート」でブログに書き込み直す、という手順。
そうはいっても、
・エクスポートにどのくらい時間がかかるのか?
・バックアップファイルの形式や文字コードは?
・インポートにどのくらい時間がかかるのか?
といったことが、まったく見えなかったので、なかなかやってみる気になれなかった。新しいブログ(インドカレー・ラボ)を始めたので、細かいところの設定などを見直していたら、いろいろ再発見もあって(普段、設定なんか見ないし、デザインも1回決めたらそうそういじるものでもない)やってみる気になった、というのもある。
今回、画像を復活させたブログは、もう更新していなかったし、エントリー数も少ない。また、画像が無いとまったく意味が伝わらない内容、というもの(20分でお弁当)だったので、とりあえず画像復活の練習を兼ねてダメ元でやってみたのだった。
結果、上手く行ったとはいえ、エクスポートとインポートは結構時間がかかることが分かったので、メインのこのブログ(2003年11月開始)で同じことをする気には、ちょっとなれない。
それと、旧エントリーを消さないと全部二重になってしまう(バックアップデータが、上書きではなくて追加で書き込まれるため)ので、既存のエントリーを先に全部消してからインポートする、というのも怖いところだ。バックアップして削除したは良いが、上手くインポートできなくて元に戻らない、ということが無いとはいえない。
メインのこのブログにも、画像やブログ内リンクが見えなくなっているエントリーがけっこうあるのではあれど、量が多いので失敗すると洒落にならないし、文字だけのエントリーも多いので、何かのはずみで画像が出ていないのを見つけた時に、そこだけ修正するようにしている。全部を一気に修正せずに期間で分けて修正していけば、多少はリスク回避できるだろうけれど、手間を考えると着手する気になれない。
ITは、めんどくせぇ、、、w バカみたいな4連休でもないと、なのだな。
追記)
ま、バカみたいな4連休のおかげで、3台ある Win10 の PC のもろもろの設定や調整も完了した。不思議なことに1台ずつ課題が違うんだよね。
・スワップ領域の調整
・ディスクの空き領域の確保
・自動起動するアプリケーションの起動不安定
・3台に共通するのは、Winアップデートの適用と古いアップデートの削除
これら、全て解決した。明るいうちから酒を飲みながら、PATで馬券を買ってradikoで競馬を聴いては勝った負けたといいながら、PCをいじっては何度も再起動している、というのが、バカみたいな4連休でないとできないことなのであった。
2020/09/23 カテゴリー: Current Affairs, Food and Drink, Web/Tech | 個別ページ | コメント (0)
新たに「インドカレー・ラボ」というブログを始めました。
「インドカレーは自分でつくれ」(平凡社新書)の筆者である田邊のカレー研究ブログです。和の食材を生かしたインドカレーを考えて、作ります。
レシピはもとより、御殿場駅前の「ツーリスト・ハブ・トレイル」での販売予定などをお知らせします。
2020/09/20 カテゴリー: Current Affairs, Food and Drink | 個別ページ | コメント (0)
今週末から中央競馬は無観客での札幌開催だ。
親父が薄野で居酒屋をやっていた関係で、競馬場に酒を入れている酒屋からバイトの声が掛かって、毎週、札幌競馬場で働いていた。自宅からは自転車で20分くらいだった。
パドック脇の売店が拠点で、客にビールやオロナミンCを売るのは毎年来ているおばちゃん達で、オレはスタンドの最上階までビールだの板氷だのを運んだり、空き瓶を回収してきたり、なんて力仕事だった。パドック脇なので、空き瓶を割ったりすると馬が驚いちまうので片付けは慎重に、だった。
ビールは、1回に大瓶3ケースくらいを担いで特観席まで登っていくのだった。行きは中身が入っていることを覚悟しているので、重いことは重いもののそれなりに用心しているのだが、空き瓶を回収するときは、空だと思って4ケースくらい担ごうとすると、けっこうな飲み残しがあって思ったよりはるかに重くて危ないのだった。
当時から腰痛持ちだったので、かなり用心していたけれど、そんなに飲み残しがあるとはまったく想定外だった(オレなら瓶ビールを開栓したら絶対に全部飲むw)。
ビールは重いだけだったけれど、氷は業務用のデカい板氷で、重い上に持ちにくく、さらに最上階に着くころには、両手・両腕がすっかりかじかんでいるのだった。
当時の札幌競馬場は、ダートだけだった。バイト代は馬券に消える、ってのはお約束だ。
ずいぶん前の夏休みに札幌に行ったときに、久しぶりに札幌競馬場に行った。札幌の芝コースを現地で見るのは、このときが初めてだった。その日はメインがクイーンステークスで、パドックで良く見えた3頭で決まって3万円くらい勝って、薄野に飯を食いに行った。
ヤマカツスズランで調べてみたら2001年だった。10年くらい前かと思っていたが、もう20年も経つのか、、、。
ビール3ケースは結構な重さではあれど、当時は、エレベーター設置前のビル建設現場で、内装用の石膏ボードをすべての階に運び上げる、というバイトもやっていて、サブロクの9mmなら10枚、12mmなら8枚くらい(90kgくらいか?)を1回に持って階段を上っていた。おかげで、背筋力は280kgくらいあった。
仕事がある日は、午前中1カ所で5000円、午後別のところで5000円で石膏ボードを運んで、夜は夜間清掃のバイトで5000円。1日1万5000円だったが、1カ月休まず働いても45万円にしかならず、しかも税金を抜かれる、ということに気付いて、これは人生はヤバいと思ったのだった。
そして、新卒で国産コンピュータ・メーカーにシステムエンジニアで就職したら、手取り11万円で、ますますヤバいと感じたのだった。
#爺さんの昔話
2020/07/22 カテゴリー: Current Affairs, Life | 個別ページ | コメント (0)
首都圏の鉄道各社は、3月4月の定期券の売り上げが飛んでしまって大変、ってことだけど、オレの場合、昔から定期券ってのが貧乏くさくて嫌いだったんだよね。
会社支給の定期券ってのは「経路指定の現物支給」だったけれど相当する現金を支給しろ、といつも思っていた。
経路指定ってのがまた貧乏くさくて、自宅も職場も最寄り駅ではなかったり、最短あるいは便利な乗り換えではない、なんてのが普通だった。都営地下鉄の御成門駅出てすぐのビルに通っていたことがあるけれど、日比谷線の神谷町からトンネルくぐって歩いて来い、という経路指定だったw 総務かどこかに鉄道に詳しいバカがいて「社員に我慢させるとほんのちょっと安くなるルート」などを入れ知恵していたのだろう(当時は乗り換えアプリなどない)。
まったく貧乏くさい。
食うに事欠くくらい貧乏だったってのもあるけど、定期券はいつも払い戻して、オートバイで行ったり、バス(都内のバスは電車を補完していて覚えると便利。安いし)を使ったり、電車に乗るにしても好きな経路で会社に行っていた。払い戻すときに駅員が「会社支給のものではないのか?」などと問い質してくるのも、マジで気に食わなかった。オレの勝手だろ、定期券ではない通常の料金で乗るんだよ、ったく。
会社も貧乏くさいが、鉄道会社もかなり貧乏くさい。
綱島>(東横線)>渋谷>(半蔵門線)>永田町
という定期券だったときがあって、渋谷でいったん改札を出て地下鉄に乗り換えるのだった。そこに目黒線、南北線直通という新線ができたので、
綱島>(東横線)>日吉>(目黒線)>目黒>(南北線)>永田町
というルートでも行けるようになった。日吉は綱島の隣駅で目黒線の始発だ。始発に乗って乗り換えなしで目的地まで行けるわけだ。
しかし、目黒線と南北線は直通なので一度も改札を出ない。このため、永田町では「渋谷から乗ってない」という認識になるらしく改札を出られないのだった。混雑緩和目的で東横線と目黒線のどちらでも都心に向かえるようにしたのに、空いている方を選べない、というクソな定期券だったのだ。
だから定期券ってのは、貧乏くさくて嫌いなのだ。
今では、渋谷も東横線から地下鉄に改札出ずに乗り換えられるようになったから、上記のクソな状況は解消したかもしれないが、定期券なんてものは持たなくなって久しいので、確認はしていない。わざわざ不愉快になることもあるまい、でもある。
そもそも、3カ月分も先に金を払ってしまう、ってのがバカげているw Suicaなんかは、先に金を払っているようで実はカード払いなので後払いなのが良いところだ。
とにかく、定期券ってのは、電車やルートの選択、つまり行動自体をそれに縛られる、ってのが、ホントに嫌なのだな。しかも、無意識に縛られていたりするので困る。
綱島から恵比寿の事務所へ通っていた頃は、定期券は持たずに半分くらいは自転車で行っていた、所用時間は電車より短いくらいだった。当時は、体重はあったけれど体脂肪率は低かったw
2020/05/19 カテゴリー: Current Affairs, Life | 個別ページ | コメント (0)