内田樹氏が「人には師が必要であり、それは直接教えを受ける必要もなくて、私淑するだけでよい」というようなことを書いていたが、そういう意味では、開高健は間違いなく「師」と言いたい存在だ。
最近、「饒舌の思想」ってのと「われらの獲物は、一滴の光り」というエッセイ集を読んでいたのだけれど、開高健の文章ってのは、ずいぶん前から何度も読んでいるうえに、ネタもほとんど知っており、それゆえに既にして「心地よく入ってくるお経」のような存在になりつつある、ってのが発見であった。
これ、Stuffの「音」に相通じるものがあるな。言われてみればStuffも、間違いなく楽器をやる人間にとっては「師」と言える存在である。
「われらの獲物は、一滴の光り」には、前書きとか目次とか断り書きとかがあって、11ページから本文が始まるんだけれど、12ページでいきなりやられてしまった。完膚なきまでにやられた(苦笑)。
「
すべて日本人の書いた味覚に関する文章は実体感覚につきて抽象をやらないという傾向がある。実に精緻な、ほれぼれするような達意の文章にはしょっちゅう出会わすが、ついにそれは感覚の報告の域を出ない。
」
「ただただ私小説的身辺雑記に終始している」のだという。 いや、これには、一言もない。これが昭和30年代、開高健20代後半の喝破なのである。まさに、叩きのめされる快感である。
「饒舌の思想」では、こんなのがあった。下記、「>」から上のタイトル1は最近の本、下のタイトル2は1966年に開高健が「編集者に読まされた出世本」である。ったく、45年前と何も変わっていないのが、人間の浅ましさを示しているのか、出版社や編集者のダメさ加減を示しているのか、多分両方だと思うけれど、、、(苦笑)。
当時の開高健の嘆息(本のタイトルを見ただけで「粉砕されてしまった」と書いてある:笑)は、いまでもそっくりそのまま、オレでさえそうなのであって、何も変わっていないというかなんというか。ま、この本が書かれた頃に生まれたオレがそう思うんだから、既に事態は大変な段階に進んでいる、と考えるべきなのか?
タイトル1)
航空機は誰が飛ばしているのか
節約の王道
組織で使える論理思考力
戦後世界経済史 自由と平等の視点から
いつまでも健康でいるために
22歳からの国語力
近頃の若者はなぜダメなのか
決算書はここだけ読め!
「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト
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タイトル2)
夫を成功させる法
成功のチャンスをつかめ
ビジネスに勝つ19の法則
自分の力を引き出す法
楽しみながら出世する法
提案成功術
仕事に成功する秘訣
成功するアイデアのつかみ方
あなたも有能な指導者になれる
会議のテクニック
職業適性
40までに成功する法
幼稚園から計画せよ
ま、ノウハウ本、Tips本ってのは、ホントに貧乏臭いと思うね。「経験」は省略できるものではないと思うのだな。ま、経験したこと以外は身に付かないくらい馬鹿である、ということなんだけれど(笑)。