学生の頃は、バイトで買った250ccのオフロードバイクに乗っていた。
(バイトに関する記憶は、「昔の話」に書いた)
最初のツーリングは、奥尻島だった。
日本海沿いに瀬棚まで行って、フェリーで島に渡った。
島中をくまなく走り回ってから、夕方、飛び込みで民宿に泊めてもらった。
ウニと菜っ葉だけの塩味のお汁が素晴らしく美味かった。
囲炉裏端で宿のご主人が酒を振る舞ってくれた。
その後、大津波で壊滅的被害を受けた地域の海辺の民宿だった。
津波のニュースを聞いた時、地球の時間感覚からすれば一瞬の違いでしかない、と呆然とさせられた。
バイクに乗って峠道などを走っていると、何度か事故に遭遇した。
定山渓から朝里に抜ける朝里峠では、免許取り立て、クルマ納車直後(ということは後で聞いた)のカップルが、横転して側溝に落ちているのに遭遇した。
コーナーにオーバースピードで入って、ブレーキを踏んでしまったらしい。
足首からけっこう出血していたが命に別状はなさそうだった。
通りかかったアマ無線搭載の大型バイクが救急車を呼んだ。
知床では、霧の中、女性グループのレンタカーが道路をはずれて、路肩に落ちているのに遭遇した。
ツーリング中のバイク乗り数人と牽引ロープを積んだ通りがかりのクルマで救出した。
大学4年の秋(呑気な就職活動だ:笑)には、就職試験のために、東京までオフロードバイクで行った。
苫小牧から仙台までフェリー、あとは東北自動車道。
自宅を出てから東京まで、だいたい24時間。
帰りは、仙台に朝の6時頃に着いて、寒い中を札幌まで走って朝一番のゼミに出たが、さすがに疲れていたので居眠りしてしまった。
確か、ローマクラブの「成長の限界」を読んで議論する、というゼミだった。
チェーン交換、タイヤ交換、パンク修理、ブレーキライニング交換、そのほか各種調整、オイル交換など、普通の整備は全部自分でやっていた。
250ccは、車検がないので、これで十分だった。
大学からは、研究室の裏でいつもバイクをいじっている勉強してない学生、と認識されていたらしい。
ある秋の日に、急に「ししゃも」が食いたくなって、かなり寒い中を鵡川までバイクで一人で調達に行った。
段ボール1箱のししゃもを買って研究室に戻ってきて、裏で火を熾して焼いて食べた。
ししゃもだけで腹一杯になったのは、後にも先にもその時だけだ。
メス(いわゆる子持ちししゃも)よりもオスのほうがはるかに美味いということがよく分かった。
卒業した3月末に、就職した某コンピュータメーカーの独身寮に入ったのだが、その時もオフロードバイクで上京した。
札幌はまだ雪がある時期なので、苫小牧を夕方に出るフェリーだったけれど、路面が融けている昼頃に出発した。
東京に着いて環七まで来たは良かったが、国道1号線との立体交差が分からなかったり、多摩川を渡ってから、川崎の寮の場所がよく分からなかったりで、入寮時間に遅刻した。
寮長は厳しい人で、「入寮に際してバイクは禁止と書いてあったはずだ」と正されたが、北海道なのでしばらく帰れないと思われるし、オトナなんだから禁止もなにもないのでは、駐車場も確保する予定である、というような話をしたらあとは何も言わなかった。
そのオフロードバイクは、ホンダのXL250Rというモデルだった。
結局、就職してからも乗っていたので、積算計は3万7000キロ以上になった。
独身寮にせよ、アパート暮らしにせよ、自由な移動の手段があったのが何よりだった。
初任給じゃバイクはとても買えないし、寮を出ることが優先だったから、北海道から乗ってきて本当に良かった。
温泉はもちろんだけど、一人で西湘バイパスの下まで行っては一日砂浜でぼけっとしているとか、中華街に朝から行ってお粥を食べるとか、会社支給の通勤定期を払い戻してバイクで通勤なんてこともできた。
今はもう廃業した吉祥寺のジャズ喫茶にもよく行った。
東京や横浜の道もすぐに覚えた。
入社2年目か3年目、東北自動車道を温泉めざして走っているときにエンジンがダメになった。
なんとか走行できる状態だったので、温泉まで行って予定どおり過ごしてから、一般道で帰って来た。
上野のバイク街で、下取りしてもらって、新古のFT400という不人気車種を安く買った。
1週間後の納車時にチェックしたら、3万7000キロが7000キロになって売りに出されていた(爆)。
ま、どう見ても、2万キロは行ってる外観だったので、ご愛嬌というかなんというか、、、。
と、まあ、この辺の話は、School Days ではないけどね。
クルマでの事故は経験があるけれど、幸いなことにバイクでは事故の経験はない。
もちろん、転んだことはあるけれど、大けがはない。
40も半ばになって、また乗りたいのだけれど、乗っていた当時の運動神経は衰えているだろうし、ちょっと危険かな?