今年は、高校や中学の同窓会がけっこうあって、ま、行ったり行かなかったりなんだけれど、
30年ぶりに消息を知ったヤツとかがいて、それはそれでなかなか面白い。
なんとなく、その人に結びついた記憶ってのがあって、名前と一緒にちょっと思い出したりする。
さすがに40代も半ばともなれば、既に亡くなっている同級生も何人かいるようだ。
親の気持ちを思うと、自分に関しては「順番」が狂わなかったことをありがたく思ったりする。
自分が生きていることはもちろんだけれど、親の立場になってみるとね。
高校では、野球部に入ったが、新入生3人が入ってようやく9人という状態だった。
バックネットもマウンドもなくて、バッティングケージがひとつだけだった。
レフトはサッカー部で、センター後方はテニスコート、ライトは陸上のトラックがかかっていた。
そんなところで全部で9人が硬球で練習するのだが、ま、外野の練習なんてできないし、強い訳がない。
夏の大会の地区予選に1回戦で負けた後、ロックバンドをやるために野球部は辞めてしまった。
一時的に8人になってしまった訳で、ま、申し訳ないと思ってはいた、、、。
いまでもはっきり覚えているのは、負けた1回戦で最後のバッターだったこと。
まったく打てる気がしなくて、セーフティバントを試みて間一髪でアウトだった。
そう言えば、中学3年の最後の夏の大会の予選でも、最後のバッターだった。
このときは普通のサードゴロ。
そんな弱小な野球部だったが、高校生なんてのは指導者でいくらでも変わるもので、
2000年にはなんと夏の甲子園に出たのだった。
駒大苫小牧が強くなる前のことで、お世辞にも南北海道のレベルは高いとは言えなかったが、
さすがに、こんな経験はもうないかもしれない、と思って応援に行った。
相手は強豪のPL学園で、アルプススタンドではなく内野席で見ていたが、100回やっても勝てる気はしなかった。
それでも、野球は今でもやっているし、ルールやセオリーに関しても、
経験者はやはり野球部未経験の人よりは分かっているものだ。
そして、たった3カ月の高校野球で痛めた腰は、完治することはなく、今でもたまに調子が悪い。
野球で得たもの、失ったもの、ま、いろいろあるってことだな。
中学の野球部では、「さいチャン」とか「まこっつぁん」と一緒だったの? 彼らは野球部だったと思うけど。
私は小学校の時、一番でサードでした。弱小チームでしたが。
投稿情報: shigeki | 2006/09/06 15:05
>「さいチャン」とか「まこっつぁん」と一緒
そうです、そうです。
「さいチャン」はセカンドで、僕がショート。
二人は「ゲッツーコンビ」と呼ばれていました。
中学の野球でゲッツーはなかなかないので、マジで美しかった(笑)。
投稿情報: ttanabe | 2006/09/06 19:18