コムスンのことを考えていたら、老人病院に預けていた祖母のことを思い出した。
僕の両親が死んでしまってから、相当に痴呆が進んでいた祖母を老人病院に預けていた。父が入院していたころから、母だけではもうどうにもならないので、病院にお願いしていたが、父の死後、母が入院したときに完全介護に移行したのだった。
僕は離れているので、どうしようもなかった。
費用は、「数人の相部屋&完全介護」という条件で月額13万円くらい(下着とかを家族が家に持ち帰って洗濯すればもうちょっと安い)。それで、すべての面倒を看てくれるのはとても有り難かった。年に何回か様子を見に行ったけれど、いつもとても清潔にしてくれていて、行き届いたサービスだった。
祖母は、たいていはうたた寝をしていて、たまに目を覚ますと、僕のことを見知らぬお客さんとしか思わずに、他人行儀な挨拶をしたり、天気の話をしたりするだけだった。会いに行くたびに、小さくなっていったように感じたが、脳血管系の病気であって、内臓は丈夫な人だったので、食欲もあって90歳とは思えない肌ツヤだった。
母が死んで1年くらい経ったころ、「さすがに弱ってきた」と病院から連絡があったときには、「無理な蘇生とか延命とかは、けっこうですから」と伝えた。
最後の何年かは、記憶もなにもなくて、見知らぬ人との相部屋で、うつらうつらしながら過ごしているだけだった。それが、本人にとってどうだったのかは分からないけれど、人間というものは、死ぬまで生きるものなのだな、と思ったのだった。
今は、両親も祖母も、みんな函館にあるお墓に入っている。それで、年に1回、函館競馬の時期に、朝の飛行機で行って墓参りをして、昼から競馬をやって、地ビールを飲んで、最終便で帰ってくることにしている。墓参りするたびに、次に入るのはオレだな、と痛感する。
で、ま、たまに墓参りなどしたところで、そんなことくらいでは当たらないのが馬券なのだった(笑)。
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コムスンについては、いろいろ想定内(悪い噂はずいぶんあった)ではあれど、はっきりしたのは、「もはや、役所の出る幕ではない」ということかな?
レギュレーションとペナルティを振りかざすだけで、エンドユーザーへのリアルなソリューションがないわけで、、、。ま、役所がサービス提供に乗り出してきても、それはそれで本末転倒だし、サービスの内容や質の点で問題が多いだろう。
もちろん、レギュレーションや手続きを誤魔化していたことに弁解の余地はないし、グループ会社への事業譲渡とか姑息な感じはありありなんだけれど、感情論だけで叩いてはイカンですね。
実際、介護サービスがないと困るユーザーはたくさんいるし、払ったお金とサービス内容を天秤にかけてそれで満足しているのであれば、極論すればレギュレーションなんかどうでも良い話だと思う。さらに言えば、嫌がる仕事は誰かがやらなきゃならないし、それこそがビジネスになるわけだし、、、。
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