打ちのめされる、とはこういうことを言う。
開高健の「新しい天体」を30年ぶりくらいで読み直して、そう感じた。
「しきりに声をあげて感心している彼を運ちゃんやホステスたちは素朴な、おおらかな声で笑った。季節のない国からきた、目的のない男を、季節のある、節(ふし)のある国の男女が笑った。その笑い声には大いなる単純さと優しさがあり、笑われているとたのしかった。」
これは、冬の知床の飲み屋にいった主人公が汲取式の便所のウンコと落し紙が寒さで凍って積みあがったピラミッドを見てきた直後の情景。
最近、開高健を読み直していて、「打ちのめされっぱなし」な状態。
文体、ボキャブラリ、言葉に対する姿勢、言ってること、などなど。
なかでも、冒頭に転記した文章には、やられた。
不覚にも泣けてきた。
特に、「笑われているとたのしかった。」はツボだった。
この作品は、開高健44歳のときのもの。
それを知って、ダメ押しをされた感じだった。
「夏の闇」と「輝ける闇」は、どこかにこもって、一気に読みたいものだな。
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