NHKで「ワーキングプア」を再放送中らしいですね。
テレビは見ないのですが、NHKの取材班が出した本「ワーキングプア」を読んだので、ちょっと思ったことを。
やっぱりメシの食い方は自分で考えないと、ということに尽きるのではないか?
昔の人(戦前くらいまで)は、何十年かメシ食って行くのに何をすれば良いかを考えて人生を踏み出したと思うんですね。
弟子入りして腕を磨いて独立、なんてのはその良い例だ。
で、その選択は2000年くらいまでは、間違っていなかったけれど、世の中が変わって(1995年を境に経済が変った、という話)通用しなくなっちゃった、でも、変化に対応するだけの知恵はないし、実際には体力もない、ってのが老人のワーキングプア。
本に出てきた老人は、不動産はもってるけど売りたくない、土地は資産だから生活保護は受けられない、でも仕事はない、ってケースが多い。要するに昔は食えていて、そのときの資産(土地と家)もあるけれど、現金は死ぬ前に使い切っちまった、という状況ですね。
でも、若い人の場合は、「雇ってくれ」「働かせてくれ」「給料をくれ」ばかりになってしまっている。
これ、自分でメシを食って行くというよりは、たくさんメシを持っている他人(会社ですね)のメシをもらいたい、その代わりに自分の時間を提供する、ということですね。
ま、就職するってのはそういうことではあるわけですが、、、。
戦後教育は、煎じ詰めると「就職」のためのシステムでしたね。
誰もが「就職する」ってことについて疑問なく、教育システムの中での序列に身を任せて、それなりのところに就職して「給料をもらう」ことに慣れ切ってしまった。
しかも、そこそこ安定した給料だった。
高度成長がすべての問題を覆い隠してきたわけですね。
成長が前提でなくなったことで、すべてが破綻していますね。
20年遅れた途上国がかつての日本と同じ道を歩んでいるので、日本はこれまでの立場ではなくて、英米のような立場になって、自分の土俵を作ってそこで搾取する側に回らないと、国が回りませんね。
なのに、「就職がない」「仕事がない」「誰も雇ってくれない」「給料が安い」ということだけしか見ずに、「国がナントカすべき」「福祉をもっと」などと言っているだけでは、絶対に何も変わらないと思いますね。
この辺は、ワーキングプアの当事者もマスコミも、よく見えていないと思われます。
戦後のアメリカの策に見事にハマってますねぇ、、、。
完全に骨抜きにされた感じです。
戦争に負けるということは、こういうことなのか、と思います。
ただし、もろもろ改善できたとしても、やっぱり老人の問題は避けられませんね。
加齢のリスク、長生きのリスクということを不謹慎とか言わずにもっと意識しないといけない。
「ワーキングプア」には、子供がいないって老人も一部出てきましたが、出てくる貧しい老人たちには、子供はいないのかよ、と思わされることが多かったのも事実ですね。
子供のほうもワーキングプアなのかもしれないけれど、、、。
子供を人生のリスクヘッジだとは言わないけれど、「子供の世話にはなりたくない」「子供に迷惑かけたくない」という気持ちもよく分かるけれど、
「住み慣れた家、思い出の詰まった家は手放したくない」とあわせて、あまりに根本的なところでの情緒的な制約条件の存在が大き過ぎると思うんですね。
この根本的なところでの情緒的な制約条件に戦後教育が重なって、状況に応じて切り替える、という思考を封じ込められたのが、貧乏より何より、なんとも切ないですね。
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