「My箸」ってのは、どうも「そっち系な感じ」(笑)があって、かつて環境をかじったものとしては敬遠していたのですが、実は、最近聞いた環境問題についてのトークセッションで、ちょっと目からウロコな話があって宗旨替えしようかな、と思っています。
そのトークセッションでは、温暖化からエネルギーからなんから幅広い話があったのですが、その中で、「マイ箸は、エコのためってよりは、良いお箸でご飯を美味しく食べたいから、ですね」って話があって、これには素晴らしく納得させられたわけですね。
1)ジャンク系の丼もの屋がプラスチックの箸に変りつつあるが、プラスチックの箸ではモノが美味くない。もちろん、ジャンクであってそもそも大して美味い訳ではないのだが、それを箸で助長することもあるまい
2)プラスチックからは有機化合物が溶け出す可能性がある
3)コンビニでタダでくれたり、立ち食い蕎麦屋で使い捨ての安い割り箸は、中国製で漂白剤等に問題がある可能性がある
という、エコってよりは「エゴ」な理由に納得感があるわけですね。
割り箸は間伐材なので森林資源を浪費しているわけではないとか、最近は安すぎる中国製の割り箸がほとんどになっていてとか、状況も変わっているようですが、こういった話を冷静にするためのデータもなしに森林資源とかの話をし始めると、永遠に歩み寄れないというか、聞く耳持たないもの同士の話になったりしがちですね。
でも、「良い箸で食べた方が美味い」ってのは、これは何の問題もなく納得できる話だと思うわけですね。ご飯(ジャンク店でも、家の冷や飯よりはうまい)とか、丼とか、麺類とか、まともなお箸でなるべく美味しく食べたいもんだな、と。
環境関連の話って、論理的に何が正しいか、ってことが一意に言えない(科学的にも本当のところは分からない、分かっていない)ってことが、本質的に多いわけですね。レジ袋にせよ、ゴミの分別にせよ、突き詰めて調べていくと、「???」って話ばかりです。
最初はささやかな象徴だったのが、それが目的化しちゃったり、あるいは、だんだん状況が変わったり、それまで見えてなかったことが分かってきたり、時代とともに真実は変わったり、真実は変わらなくても、社会のコンセンサスが変わったり、といろいろありますからね。
なので、禁欲的だったり、求道的だったりせずに、美味いとか、楽しいというような、本能的に受け入れたいもののほうに行くことも、一つの考えるべき軸としてはありだよね、という話ですね。
モノを美味しく食べる、ってことは、これは、そう簡単には否定できないことだと思うわけですね。もっと言うと、せっかく美味しいのだから、箸で台無しにはしたくない。箸で台無しにしたくないと思える程度の食事をしていたい、ということなんですよね。
ま、お店で、「おっ、マイ箸ですか」って言われて、「これはモノを食べるに当たって、使い慣れた、道具としての素晴らしさのある、かつ日本の文化でもある箸を使ってなるべく美味しくいただきたい、ってことだけなんですよ。決して、環境のために割り箸を否定しているわけではないのです。なぜならば、うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん、、、、」という話になったら、かなりウザいヤツですけどね。
とりあえず、環境から情緒へと議論をすりかえようという試みなわけです(笑)。
というわけで、良い箸を一膳買ってカバンに入れておきましょう。もちろん、プラスチックじゃないヤツを、、、。