以前はまったく問題なかったのに、この2、3年はこの時期に花粉症が出るようになった。
10日くらい前からちょっと目が痒くてノドがイガイガすると思っていたら、ノドだけが異様に悪化して喘息状態になって、咳が止まらなくなってしまった。
夜も眠れないような状態(ま、為替を見ていると寝ているヒマはないのだが)なので、久しぶりに医者に行った。
歯医者以外の病院って何年ぶりかね?(笑)
事務所の近所で見つけた渋谷橋交差点から中通りを入ったところにある耳鼻咽喉科で、Web(なかなかちゃんとしている)によれば開業80年だそうだ。
なんとも、old-fashioned な素晴らしい病院であった。
古びた院内(デカい一軒家なのだが)には、ひたすら延々と針金の先に脱脂綿を巻きつけて、鼻や耳に差し込む棒(なんていうんですかね?)を作っている
看護婦さん、同じく鼻用と口用のガラス製の吸入器(ネブライザーという)を洗っている看護婦さんがいたりする。
投薬と会計も、分業している方々の手際が良くて、小さなカウンターで待たされることがない。
医薬分業とか言って、処方箋だけなんて病院が多いけれど、全部病院だけで済むのは面倒がなくて良い。
数分間、吸入しながら、ガラスの吸入器とゴムのホースと金属のジョイント部分を見て、吸入の音を聞いていると、子供の頃のことを思い出した。
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小学生の頃は、鼻が悪かったので、耳鼻科に嫌々ながら毎日行っては、鼻を洗ったり吸入をしたり、という子供だった。
今から考えるとアレルギー性鼻炎ってやつで、風邪引くと熱はたいして出ないのにノドと鼻が激烈にひどくなっていた。
病気と言えば、風邪引くくらいなので、病院関係はほとんどすべてを耳鼻科で済ませていた。
当時は、蓄膿症なんて屈辱的な病名で呼ばれることもあり、ヤブなので行かなくなった近所の耳鼻科の医者に「この子は、頭悪くなるよ〜」と頭をポンと叩かれた記憶がある。
夏は野球とかしたいのを我慢して耳鼻科に行っては、毎日33円の治療費を払って帰ってくる。
少年マガジンが全盛のころで、待合室で読むのが楽しみだった。サンデーもあったが、マガジンの方が面白かった。ジャンプはその後に新規参入してきたのだった。
冬は、その頃の札幌は雪も多くて、除雪も行き届いていなかったので、背丈以上もある道路脇の雪の山の上を歩いては滑り下りたり(クルマが来て危ない)しながら、長靴の中を雪だらけにして、靴下びしょ濡れな状態になっては耳鼻科に通っていた。
鼻を洗っても、家に帰ってくる頃には、寒くて鼻水だらけだった。
蓄膿症は、症状がひどくなると手術で治す、という話もあって、上唇の裏にメスを入れて、顔の皮を上の方に引っ張りあげて、鼻の奥のほうの膿んだ部分を取り除くのであるとか、顔の皮を引っ張るのがとても痛いんだとか、顔つきが変わるかもしれんとか、いろいろ脅されたものである。
今から考えると、病院に通わせるための作戦だったと思われるな。
1粒100円の薬を毎日1粒ずつ飲んだりしていたが、その薬が劇的に利いたという感じでもなかった。
(しかし、40年前の100円ってのは、今で言うといくらくらいなんだろう?)
扁桃腺も取ってしまった方が良いとか言われたが、面倒だったので取らずに残してある。
今でも扁桃腺はかなり大きい方なので、初診の際にはどの医者も相当びっくりする(たいてい、我慢できないくらいひどくなってから行くからでもあるが)。
たまに中耳炎になったりして、これも耳鼻科の領域であった。
最初に、耳の奥の腫れて膿んでいるところを針で一突きして膿を出して、それから薬を塗ったりの治療をするのだけれど、この最初の一突きが痛い。
ま、低学年の頃は、間違いなく泣いていた。
で、ガーゼをドーナツ状にして湿らせたものを耳の回りに巻き付けて冷し、その上から黒い耳当てみたいなもので覆ってガーゼが落ちないようにしておく。
こんなものは気休めで、子供だとすぐ落ちてしまう。
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というわけで、40年経っても同じようなことで、同じような病院の世話になっているのが、なんだか可笑しい。
ガラス製の吸入器はちょっと懐かしかったね(笑)。
ま、花粉症ってのは、ジョギングなんかする気にならんし、自転車通勤もする気にならない(ちょっと寒かったのもあるけれど)ので、身体がなまってイカンですね。