それまで、水上飛行艇ばかり作っていた川西(後の新明和)が、太平洋戦争末期に向けて陸上戦闘機の紫電と紫電改を開発する話なんだけれど、発注側(海軍)の問題とともに泥縄的なプロジェクトという側面もあり、徹夜、徹夜、何カ月も会社に寝泊まり、などなど、日本人の仕事の仕方はいまでも変わらないなぁ、とも思わされる。
その働きぶりもそうだけれど、当時の日本の飛行機メーカーには、零戦の中島をはじめ、モノを作る力があったことを感じさせられる。
特に印象的だったのは、「空戦自動フラップ」。
紫電改は、零戦よりも高速にするために大きなエンジンを積んだため、機体も大きくなり、どうしても旋回性能が悪くなる。
その大きな機体でも小回りが利くようにするために、速度や方向、機体にかかるGに応じて、自動的にフラップがせり出したり引っ込んだりする仕組みを作って、パイロットがいちいち調整しなくても済むようにした、というもの。
当時は電子制御ではなく、完全な機械式。
Gのかかった水銀の動きでシリンダーを推してフラップを動作させる、という仕組みには唸らされる。
開発、技術、関係者、軍、工場に働きにきた女子学生など、知っているエピソードは全て盛り込みました、という感じもなくはないのだが、まとまりとかなんとかは別にして、すごい取材力だ。
いや、久しぶりに参った。
レシプロでは最高レベルの戦闘機とも言える紫電改は、米国には接収された3機が残っているらしいけれど、国内には30年以上経過して海から引き揚げられた下記の1機のみだそうだ。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sidennkai.htm
それにしても、海軍将校は、横須賀から鳴尾の工場での紫電改のテストに出張するのに、「マイ零戦」で一人で飛んでいく、ってのがなんとも、、、。
これは、開高健、34歳の仕事である。
現地から週刊朝日に送った連載の加筆版であり、この後の傑作「輝ける闇」の素材的な意味もある。
泣ける描写が何カ所かあったけれど、ベトコンの公開銃殺シーンの描写には、特に筆力を感じさせられた。
身の危険を感じながらも開高健がこういう仕事をしたのは、ベトナムがどうなってるか知りたい、という強烈な欲求だと思う。他人の言ではなく、自分の目で見て、自分で判断して、どうなってるのか、どうなろうとしているのかを分かりたい、という一念。
まさに、ジャーナリズムの本質だな、と。
(ま、寿屋のコピーライターだった人なんで、多少は商売や功名心もあったろうけれど:笑)
肉体的には、34歳くらいでないとできない仕事であるが、精神的には、34歳ではとてもじゃないが到達不可能な地点にいると思う。
まさに、巨匠である。
今年の12月で没後20年である。
広告やマーケティングにおいて、経験上なんとなく大事だと思っていること、僕も参加しているコミュニティ(OVALLINK:このブログの右上にバナー)で2003年くらいからずっと話題になっていたこと、などについて、広告プランニングが本職の筆者が、研究チームと共同で脳の内部の活動を測定する実験を通して確認した結果をまとめた本。
例えば下記。
・コンテクスト、ストーリーの中での商品PRが大事
・視覚よりも音と匂い、触感で釣れ(リアルな五感が大事)
・具体のスペックよりもそれを使っているイケてる自分のイメージ
・「恐怖」というのは最も強烈なメッセージだ
・サブリミナル的な方法や繰り返すことは重要
・実は、無意識のうちにモノを選んでしまう。潜在意識がモノを選択する
・その潜在意識の連鎖につながる「ソマティック・マーカー」を作れるかどうか
というようなことを実験ベースで被験者の脳の活動の様子から確認したという内容。
一つ気になったのは、脳の同じところが活性化したときに厳密に同じ気持ちになっているのか、「同じところ」の把握の精度は十分なのか、脳はもっと精妙なのか、というような点だけれど、この領域に具体的な測定でここまで踏み込んだ話が、日本語で本になって普通に売ってるようになった、ということであり、既に当たり前のアプローチになってきている、ということは言えると思う。
多少、広告畑の人のスタンスが強いきらいはありますが、この先のネット(に限らないけれど)広告、販促、プロモーション、マーケティングというものを考える上で必読の書ではないか、と。
で、このプロジェクトのスポンサーの1社は博報堂。
テレビはあまり見ないんだけれど、この手のアプローチは始まっているはず。
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