久しぶりに読んだ田中長徳の「カメラに訊け!」(ちくま新書)は、今日的カメラの状況について、面白可笑しく、でもこれ以上無いってくらい的確にとらえていて、なかなか流石である。
例えば、
「シロートのデジカメ映像は、ファイルサイズがデカすぎる」
とか(笑)。
それにしても、
「ニッポール(注1)のレンズをつけた昔のライカコピーのレンジファインダーで日暮里の西日を撮ったらどんなにか、、、。実際に撮影する必要などなく、そのことを思うだけでよい」
とか、
「ライカを傍らにおいて、ネットで航空券とホテルの予約をしている行為こそが旅そのものであって、実際にライカとともに出かけていくのは、その旅をなぞっているにすぎず、デジャブ感はライカあってこそなのである」
とか、カメラというものに対する精神性がある種の高みに達していて素晴らしい(んー、素晴らしいのか?:苦笑)。
僕は、携帯のカメラではよく食ったものを(食う前に:笑)撮影しているけれど(ブログ「量も味のうち」)、カメラとして持って歩くのは銀塩(ライカとペンタックスとフォクトレンダー。ミノルタTC-1も気に入っていたがロンドンに忘れてきた)が圧倒的に多い。デジカメ(300万画素の古いコンパクトしか持ってないけれど)は、性能が中途半端な感じで電池にも不安があるので、実はほとんど使わない。
食べる物を撮影するということに関して言えば、銀塩の場合、ホワイトバランスとかレンジファインダーは接写が利かないとか、一眼はデカい(ま、これはデジタルもだけれど)とか、いろいろ問題がある。その点、300万画素の携帯カメラってのは、いつでも携行しているし、電池の不安もほとんどなくて、なかなかのハマリ役なわけですね。
今使っているのは、ドコモのSO902iってもう3年も使っている端末だけれど、カメラのデキが良い(とはいえ、画像サイズや撮り方など、安定した写真が撮れるようになるには多少時間がかかった)ので手放せませんね。
撮影という行為そのものから見ると、カメラをしっかりホールドするとか、デキの良いファインダーでピント合わせやフレーミングを楽しむ、なんてことがすっかり関係なくなってしまったのが、寂しいと思う訳ですね。一つ前の煙草のエントリでも書いたけれど、ユーザーに訓練を強いるというようなことがなくなってしまったなぁ、と。
クルマなんかも同じで、クラッチ操作なんかは上手い下手がはっきり出るし、軽トラックに乗ったら「まずはセカンド発進」だったのだけれど、そんなことも既に関係なくなってますね。
上達するということは、楽しいこと、嬉しいことだと思うけれど、そんなことを感じられなくなってきているわけですね。
人間の感覚ってのは、ちょっと練習すればすぐにオートフォーカスより遥かに素早くピントをあわせられるようになって、そのことが快感になってさらに上達する、という循環になるのだけれど、そもそも、訓練を求めない機械を使っていると、オートフォーカスの速度、デジカメの速度でしか撮影しなくなってしまうわけですね。
ま、こういう状況ってのは、明らかに何か大事なものを失っている感じがします。
すぐに陳腐化するデジカメ、そこそこ使える携帯電話のカメラなどに囲まれていると、「カメラに訊け!」に縷々書いてある長徳さんの気持ちは良く分かる(ような気がする)。
さて、久しぶりにカメラを持って、桜(被写体としては最高ランクに難しい)の下でも歩きますかね?(笑)
注1)ニッポール
日暮里にあったカメラメーカーのレンズブランド。下記に詳しい。
http://blog.livedoor.jp/united3arrows/archives/51212382.html
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