最近だと「サムライ・ジャパン」みたいな慣れ親しんだ予定調和のスポーツ報道の意味を解きほぐしてくれる本。
ま、30分で読み終わるんだけれど、 それだけ一気に読める、ということでもある。
なんとなく気になっていること、なんか引っ掛かる、ってことをはっきりさせている点に価値がある。
スポーツニュースは「オヤジ」である、ってのは、ま、オヤジの定義はちょっと気にはなるけれど、(スポーツ新聞の中の面を電車で読むのははばかられる、なんてことからも)まさにそうだし、そもそも日本ってのは社会全体が依然として「オヤジ」だと思う。
ま、男と女ってのは大きなテーマでもあり、人それぞれの捉え方や接点があるだろうし、男女ともにモテたいと思わない人は少ないと考えられるけれど、その表出の仕方が「オヤジ」だってのがまさに問題なのであるな。
日本のメディアや選手に対するオシムの怒りはなんとなく僕にもわかるし、楽天の田中将大投手はなぜ「マーくん」なのか、城島は英語で苦労なんかしていない、といった個々の話から、「日本人ということを刷り込むとはどういうことか」「日本人は自らを世界の周縁に位置づけたがっている、世界に挑戦する存在にしておきたがっている」なんて話まで、普段から感じている落ち着かなさの理由をかなりはっきりさせてくれる。
この「日本人は自らを世界の周縁に位置づけたがっている、世界に挑戦する存在にしておきたがっている」という感覚は、けっこう日本人的な感覚のコアな部分にあると思う。ITなんかで米国のベンダーにひれ伏す感じなどにも顕著だし、大リーグも欧州サッカーもあくまで「挑戦」で片付けられる。
結局、世界一になる、挑戦者からの挑戦を受ける立場になる、ってことのしんどさに耐えられない、というか耐える気がないのではないか、という感じがするのであるな。
ともかく、スポーツニュースってのは、ビジネスメディアなんてものよりもはるかにオーディエンスが幅広いだけに、スポーツニュースの表現ってのは社会を反映している、ということらしい。
とはいえ、やはりこれはスポーツニュースに限った話ではくて、メディアと言うものすべてに当てははまるのではないかと思う。ビジネスメディアしかり、ブログなんかのCGM(コンシューマ・ジェネレーテッド・メディア)なんかも例外ではないなぁ、、、。
何を刷り込みたいかってのは、作法や価値観をどのくらい明に強制しているか、という話でもあって、スポーツニュースは「日本人を刷り込む」ことに関しては確かに巧みだけれど、「ネットでイケてるってのはどういうこと」を刷り込みたがっているメディアは至る所にあるし、という話とそう変わらないのではないか、と。
「作法や価値観の強制、刷り込み」という意味では、コミュティなんかもまったく同じような側面があると思う。
ま、そうはいっても、こういう話って、ここまで言われないと気づかないのかなぁ、、、?
普段のニュースを見聞きしていても、十分胡散臭いし、見飽きた言葉で埋っていると思うんだよね。
僕の場合、野球部経験者ではあるけれど、体育会系の価値観には最後まで馴染めなかったし、そこそこの規模のコンピュータの会社にいたこともあって、日本の企業ってものをまったく信頼も信用もしていないんだけれど、そういうバックグランドがあると、この本に書いてあることは、特に目新しいことでも特別な話でもなくて、普段からなんとなく感じていることばかりだったりもする。
もちろん、それを明確な書き言葉にしてあるのは筆者の力量であり、実際に共感できたし、確認できたのは自分にとっては収穫なんですが、、、。
いずれにしても、こういうことを無意識で刷り込まれている、そしてそれが普段はまったく気にならない、というような社会(あるいは人)ってのは、なんだか無防備だなとも思いますね。
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