1984年といえば僕が就職した年であって、都会でクルマに乗るってことについて、ずいぶん影響を受けたものでした。
89年に購入して丸21年、いまだに乗っている僕のクルマにしても、NAVIはその選択の助けになったのは否定できません。ま、子供の頃、伊藤忠のディーラーが家の近くにあって「人を呑む蛇」とそのブランドは刷り込まれてたんだけれどね(笑)。
さすがにちょっと感慨もあって最終号を久しぶりに買いました。
読んでみると、相変わらずな言い回しや視点の変わってないことに驚く一方で、「紙のメディアってのは」というようないわゆる「メディア論」的な話も(最終号ってこともあるんだろうけれど)けっこう多くて、「断末魔にそんなこと言ったって、、、」ってな感じもなくはなかったかな?(苦笑)
最後のページには、「ちょっと経ったら、多分、パソコンの画面で再会できるかも」なんてメッセージがあったのですが、先に書いたようなメディア感覚だと、うーん、ま、ちょっと勉強の期間は必要かも、ですね(笑)。
僕も雑誌の会社にいたことがあるので、言いたいことはよく分かるけれど、ずいぶん前に自分はそこからは離れてしまって、いまは違うことを考えているので余計にそう思うのかもしれませんね。
田中康夫氏(僕がよくNAVIを読んでいた頃には、常連さんだった)の「クルマとそれを取り巻く環境や社会ってものが、ドラスティックに変化するいまこそ、NAVIが必要なのに」という言葉は、なかなかに今とNAVIの本質を捉えてはいるけれど、84年に創刊したそのブランドでは、むしろ「トヨタの本質がバレたこの時期にやめてしまうとは、なんとも象徴的である」ということの方が当たっているように思えます。
雑誌ってのは、特にクルマとかカメラとかオーディオとか(ま、僕の場合:笑)、すぐには買えないもの(ま、ずっと買えないもの多数)を調べて、イメージして、なにかを気付かせてくれて、本当に買うときにはもう「調べ」は全部終わっていて、事前のイメージの確認作業に入る、というような役割だったんだけれど、まったく世の中が変わってしまったからねぇ、、、。
例えばデジカメなんかが最たるもので、別のエントリに書くけれど、「カメラなのに消耗品」になってしまって、もう選ぶもクソもない状態になっているとかですね。
NAVIってのは、雑誌が雑誌として機能していた時代の象徴的な存在だったと思います。 わくわくさせられ、洗脳させられ、ライター諸氏、編集者をリスペクトすることができた、「NAVIを読む人」がイメージできた、というような幸せな時代の幸せなプロダクト、と言えるかなぁ、、、。
ま、でも、NAVIには共感させられたし、もろもろ感謝しています。まったく、稀有な雑誌だったと思います。
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