若い頃は、いろいろ欲しいものがあったが、最近は欲しいものがない(食いたいモノはいろいろあるけどね:笑)。
一通り揃っているから、というだけではないと思う。そもそも揃っていると言っても、良いモノでかためているわけでもないし、所詮こんなもんかと思って長く使っているから思考停止しているだけであって、傍から見れば相当貧乏臭い感じのモノ(例えばリビングのカラーボックスとか、就職した頃から使っているベッドとか、オーディオのコンクリートブロックとか)がたくさんあるわけで、多少ヘタったり傷んだりしていても買い換えたいとも思わないようなモノばかりなのである。
で、そんなモノでそれなりに暮らしているので、「別にこれ以上のモノがなくても生きていける」というような感じで日々が流れていくのであるな。例えば、リビングのソファなんてのが典型で、相当ヘタってはいるけれど、新しいのを買ったところで月に数回座るかどうか、古いソファの処分のほうがメンドクサイ、くらいの感じなのだな。
ま、そうは言っても、モノによってはないと困ることもあるので、そういうのは壊れたりすると仕方なく買うわけなのだが、これが気持ちの良い買い物にならない場合が最近はずいぶんと多い。それも、「安けりゃいいや」くらいの姿勢ではなく、ある程度の主体性や主義主張を持って好みのモノを選ぼうとするときに、必ず不愉快な思いをするように世の中がなってしまったな、と。
不愉快と言うと、なんとなくトラブルとかクレームとか不良品とかそっちのほうの具体的にネガティブなことを想起させられるかもしれないけれど、そうではなくて「金を払う気はあるのに見合ったものがない」あるいは「せっかく奮発して買うのにいろいろと我慢や妥協を強いられる」という点で買い物の満足度が上がらない、という方向で不愉快になるわけだな。家やマンションなんてのは、土地だの戸数だのとリソースが限定されるだけにそういうこともある程度は仕方がないのだけれど、普通の工業製品にもそれが及びすぎな感じなのだな。
白物家電(ま、買った後で、使ってはじめて分かる使い勝手の悪さにガッカリなんて冷蔵庫とかもけっこうあるけどね)なんてのはコモディティの最たるものだし、パソコンなんかも既にコモディティ化が行くところまで行っているので、メーカーやブランドはもちろん、機能なんかさえほとんど気にしなくなっていて不愉快もクソもないのだけれど、これが「クルマ」(それも自家用車)のようなモノまでもがそうなっているとなると、本当にそれで良いのだろうかと思ってしまう。
例えば、同じ車種で1.5リッター、2リッター、2リッター・ターボとエンジンが3系統あるとして、2リッターにはマニュアルミッションの設定がないとか、生産や在庫の都合でボディカラーが選べないとか、立派なカタログがあって「選択肢はありげ」になっているのに、いざ自分の選択を当てはめていくと現実的には極めて狭い範囲でいろいろの何かを我慢して売り手の都合に合わせたモノを妥協を重ねて選ばざるを得ない、という感じ。
クルマは、今の日本では十分にコモディティになっていると思うし、選ぶとか好き嫌いなどとは違った次元で買ったり買い換えたりしている人たちがたくさんいるのも事実だろうけれど、それにしてもちょっと主体性を持つと途端に問題噴出な感じで、そんなに売る側、作る側の都合に合わせて買う側が我慢しなきゃならんのかと、呆れてしまうことが多いのであるな。
ま、フロントエンジン・リヤドライブ(FR)、ノンターボの直列4気筒、マニュアルミッション、4ドアセダン、などという選択基準で世の中のクルマを見渡しても、今では1台もないわけで、そもそも何かを我慢というか妥協したところから選びにかかるわけだけれど、ミッションだの色だの4ドアだの価格だので、ここも妥協、あれも我慢、これも諦め、などという後ろ向き一方のクルマ選びしかできないってのも、何だかなと思うわけなんですね。そのくせ、ナビみたいな個人的にはほとんど価値を感じないようなモノは付いて来るわけで、モノに対する個々の優先度が世の中とオレとでズレてしまった感じもなくはないけどね。
クルマがライフスタイルだの人となりだのを示すとか、そういったものを象徴する記号性が強いモノであるだのと言うこと自体が既に一昔前の考え方なのではないかなどと言われると、「そういうことはあるかも知れん。いまどきFRもFFもクソもないよな」などと思う半面、好き嫌いもなければ乗ったときに違いも分からないようなヤツには言われたかねぇよ、とも思うのである(笑)。
これ、自転車なんてのも最たるモノで、雑誌やカタログで気に入ったとしても、そうやって簡単に気に入るようなものは他にも気に入る人が何人もいるらしく、ほぼ確実に「在庫がない」「サイズがない」「色がない」「完売です」ということになってしまう。過去、問い合わせて諦めたことが何回あったか(結果的に買えなくて良かった、ってのも多いけどね:笑)。
つまり、「今やそう簡単に気に入ってはいけない」(苦笑)のが自転車なのであって、乗るヒマがあっても、お金があっても、買う決断をしても、簡単には手に入らないのが「本当に欲しい自転車」なのですね。河川敷を高そうな自転車で自慢げに走っている人たちだって、実際には何かを我慢したり妥協したりした上での自慢の愛車なのに違いない、と踏んで(自転車だけに:笑)います。
似たような例でもう一つ挙げるとすると、携帯電話。iPhone4がなかなか買えないって話ではなくて、もっとベーシックな話。
機種変更などする気にならないくらい高いのに、ようやくその気になっても気に入った端末がない、あったとしても在庫がない、気に入った色だけが売り切れだ、他社にあるのに自分が使っている携帯電話会社のラインナップにはない、と「得意の不愉快要因」には事欠かない。
その上、店頭に置いてある端末は大半がモックアップなので、買ってみて初めて分かる使い勝手の悪さ、カメラの画質や性能、電池のもちや電波の強さなどなど、買ってガッカリの率もかなり高い。
こういう話はモノがあふれているからこその不満であって、そもそも選べないような劣悪な境遇ではないが故の一種ぜいたくな話という側面は否定できないのだけれど、それでも「ま、これじゃモノが売れないわけだよな」と思うのであるな。
一通り揃っているから、というだけではないと思う。そもそも揃っていると言っても、良いモノでかためているわけでもないし、所詮こんなもんかと思って長く使っているから思考停止しているだけであって、傍から見れば相当貧乏臭い感じのモノ(例えばリビングのカラーボックスとか、就職した頃から使っているベッドとか、オーディオのコンクリートブロックとか)がたくさんあるわけで、多少ヘタったり傷んだりしていても買い換えたいとも思わないようなモノばかりなのである。
で、そんなモノでそれなりに暮らしているので、「別にこれ以上のモノがなくても生きていける」というような感じで日々が流れていくのであるな。例えば、リビングのソファなんてのが典型で、相当ヘタってはいるけれど、新しいのを買ったところで月に数回座るかどうか、古いソファの処分のほうがメンドクサイ、くらいの感じなのだな。
ま、そうは言っても、モノによってはないと困ることもあるので、そういうのは壊れたりすると仕方なく買うわけなのだが、これが気持ちの良い買い物にならない場合が最近はずいぶんと多い。それも、「安けりゃいいや」くらいの姿勢ではなく、ある程度の主体性や主義主張を持って好みのモノを選ぼうとするときに、必ず不愉快な思いをするように世の中がなってしまったな、と。
不愉快と言うと、なんとなくトラブルとかクレームとか不良品とかそっちのほうの具体的にネガティブなことを想起させられるかもしれないけれど、そうではなくて「金を払う気はあるのに見合ったものがない」あるいは「せっかく奮発して買うのにいろいろと我慢や妥協を強いられる」という点で買い物の満足度が上がらない、という方向で不愉快になるわけだな。家やマンションなんてのは、土地だの戸数だのとリソースが限定されるだけにそういうこともある程度は仕方がないのだけれど、普通の工業製品にもそれが及びすぎな感じなのだな。
白物家電(ま、買った後で、使ってはじめて分かる使い勝手の悪さにガッカリなんて冷蔵庫とかもけっこうあるけどね)なんてのはコモディティの最たるものだし、パソコンなんかも既にコモディティ化が行くところまで行っているので、メーカーやブランドはもちろん、機能なんかさえほとんど気にしなくなっていて不愉快もクソもないのだけれど、これが「クルマ」(それも自家用車)のようなモノまでもがそうなっているとなると、本当にそれで良いのだろうかと思ってしまう。
例えば、同じ車種で1.5リッター、2リッター、2リッター・ターボとエンジンが3系統あるとして、2リッターにはマニュアルミッションの設定がないとか、生産や在庫の都合でボディカラーが選べないとか、立派なカタログがあって「選択肢はありげ」になっているのに、いざ自分の選択を当てはめていくと現実的には極めて狭い範囲でいろいろの何かを我慢して売り手の都合に合わせたモノを妥協を重ねて選ばざるを得ない、という感じ。
クルマは、今の日本では十分にコモディティになっていると思うし、選ぶとか好き嫌いなどとは違った次元で買ったり買い換えたりしている人たちがたくさんいるのも事実だろうけれど、それにしてもちょっと主体性を持つと途端に問題噴出な感じで、そんなに売る側、作る側の都合に合わせて買う側が我慢しなきゃならんのかと、呆れてしまうことが多いのであるな。
ま、フロントエンジン・リヤドライブ(FR)、ノンターボの直列4気筒、マニュアルミッション、4ドアセダン、などという選択基準で世の中のクルマを見渡しても、今では1台もないわけで、そもそも何かを我慢というか妥協したところから選びにかかるわけだけれど、ミッションだの色だの4ドアだの価格だので、ここも妥協、あれも我慢、これも諦め、などという後ろ向き一方のクルマ選びしかできないってのも、何だかなと思うわけなんですね。そのくせ、ナビみたいな個人的にはほとんど価値を感じないようなモノは付いて来るわけで、モノに対する個々の優先度が世の中とオレとでズレてしまった感じもなくはないけどね。
クルマがライフスタイルだの人となりだのを示すとか、そういったものを象徴する記号性が強いモノであるだのと言うこと自体が既に一昔前の考え方なのではないかなどと言われると、「そういうことはあるかも知れん。いまどきFRもFFもクソもないよな」などと思う半面、好き嫌いもなければ乗ったときに違いも分からないようなヤツには言われたかねぇよ、とも思うのである(笑)。
これ、自転車なんてのも最たるモノで、雑誌やカタログで気に入ったとしても、そうやって簡単に気に入るようなものは他にも気に入る人が何人もいるらしく、ほぼ確実に「在庫がない」「サイズがない」「色がない」「完売です」ということになってしまう。過去、問い合わせて諦めたことが何回あったか(結果的に買えなくて良かった、ってのも多いけどね:笑)。
つまり、「今やそう簡単に気に入ってはいけない」(苦笑)のが自転車なのであって、乗るヒマがあっても、お金があっても、買う決断をしても、簡単には手に入らないのが「本当に欲しい自転車」なのですね。河川敷を高そうな自転車で自慢げに走っている人たちだって、実際には何かを我慢したり妥協したりした上での自慢の愛車なのに違いない、と踏んで(自転車だけに:笑)います。
似たような例でもう一つ挙げるとすると、携帯電話。iPhone4がなかなか買えないって話ではなくて、もっとベーシックな話。
機種変更などする気にならないくらい高いのに、ようやくその気になっても気に入った端末がない、あったとしても在庫がない、気に入った色だけが売り切れだ、他社にあるのに自分が使っている携帯電話会社のラインナップにはない、と「得意の不愉快要因」には事欠かない。
その上、店頭に置いてある端末は大半がモックアップなので、買ってみて初めて分かる使い勝手の悪さ、カメラの画質や性能、電池のもちや電波の強さなどなど、買ってガッカリの率もかなり高い。
こういう話はモノがあふれているからこその不満であって、そもそも選べないような劣悪な境遇ではないが故の一種ぜいたくな話という側面は否定できないのだけれど、それでも「ま、これじゃモノが売れないわけだよな」と思うのであるな。
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