低線量の放射線に関しては、いろいろな見方がありますし、私は被曝の専門家でもなんでもないのですが、子供の内部被曝に関しては、もうちょっと敏感になっても良いのではないか、と考えています。漏れ続けている海の汚染についても、食物連鎖等も意識して注意していかないとならないと思っています。以下は、こういった感覚の人間が書いているものですから、人によっては「考えすぎだ」「こういうのが風評被害を広げる」などとお考えになる場合もあるでしょうが、最近目にしたネットの情報をベースにこの時期のログの一つとして残しておきたいと考えエントリーを起こしました。
下記の「常陸太田の主婦の投稿」を読むと、やはり現実はなかなか厳しいものがあると感じられます。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/e67385282ff2b9026715bcb2d4965d4f
卵を割ってかき混ぜた途端、ガイガーカウンターが跳ね上がった、って記述は生々しいですね。
一方で、「雨の茨城で小学生が茶摘み体験→茶をてんぷらにして食うイベントが開催」なんて話もあって、これなんかは「やってることが終わってないか?」と思うわけです。
http://netateki.blog46.fc2.com/blog-entry-3836.html
安全であることをアピールするために、子供にわざわざ食わせることはないでしょう。本当に安全ならば、ちゃんと計測して数値を発表すれば良いってだけの話です。
ま、「お上」を信じている人なんか居ないわけですが、細野豪志氏の下記発言なんかは、そういうことが何も分かっていないことが明白ですね。
『今は申し訳ないが国の方でデータを管理、避難指示したい。ある時期が来たら公表し、自主判断に任せたい』
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1305433958/55
さらに、厚生労働省のこのパンフレットは、いくらなんでも、国民をナメていないでしょうか?
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014hcd-img/2r98520000014hdu.pdf
農林水産省のこのサイトに出ているものは全品検査済み、とかではないんですね(苦笑)。
http://syokuryo.jp/tabete_ouen/
神奈川県のお茶からは放射性物質が検出されたけれど、他の県のお茶からは検出されてないわけではなく、測れば出るので測ってない、ってだけですね。こういう数字だけど、基準値はこうだしこうすればこの程度に落ちるから、自分で判断してください、って方がよほどマシ。インチキなパンフレットやごまかしだらけのWebサイトだの、金の使い方としても、かなり疑問です。
知り合いに都内某区の学校給食のメグミルクについて、雪印に生乳の産地や放射性物質の検査のことなど問い合わせた人がいます。
<<<ここから>>>
雪印からの回答は、「某区給食のメグミルクは海老名工場製造の牛乳。原料乳(神奈川、千葉、栃木、群馬県産)について、雪印独自での放射能検査はしていないが、酪農関係者と行政が、放射性物質に対する定期的なモニタリングを実施。安全性を確認している。」という内容。
雪印に再度、メグミルクの酪農関係者による放射性物質検査の頻度を質問したところ、「都内給食のメグミルクは、主に神奈川県の原料乳に、千葉、栃木、群馬県産をまぜて使用。放射性物質検査は酪農家と行政まかせで検査頻度、結果は各自治体に(自分で)問い合わせろ」との丁寧だけど誠意のない回答。ちなみに千葉県では放射能モニタリングを3/22の1回しかしていないそうだ(5月上旬の情報)。
<<<ここまで>>>
消費者からの問い合わせに対して、いとも簡単に論破されるような回答しか出てこない。これも、安全なのではなく測定していないだけなのです。牛乳に限った話ではなくて、野菜も何もかもみな同じ。特に給食においては、子供たちは問答無用で食わされるわけで、スーパーで自ら理解して選んで買ったものを食べるわけではありません。地産地消とか、被災地の野菜を食べよう、といった感情論の出る幕ではないと思うのですね。
企業も自治体も、国が安全と言っているから、安全だということに「しておきたい」だけで、自ら調べる気はない。食品メーカーの民間企業なんて、裁判になったりしたら大変だと思うけれど、この手の責任転嫁の構図に乗っておけば、まずOKという考えでしょう。首相方面から辞任した内閣参与に「老婆心ながら」というプレッシャーをかけて記者会見を止めさせたようですが、自ら調べたりすると「何を言われるか、何をされるか分らない」という無言のプレッシャーもあるでしょう。
実際には、「放射能汚染ってのは発生しないことになっていた」ので、計測機器がない、あるいは揃っていない、あっても誰も使い方を知らないことが大きな問題です。これが、測定したくてもできない(ま、やる気の問題だが)、測定をせずに済ませる、あるいは、測定できる立場の人だけが情報を持っていて公開しない、という構図につながります。
「3.11の後の世の中」というのは、例えば、すべての食品の放射能汚染を測定して可視化できるような仕組みを流通に組み込むこと、そのために金を使うこと、だったりすると思うのです(欧州はチェルノブイリ後に取り組みましたね)。おそらく、既存の費目にないでしょうから、そういう費目を作ることが必要だと思うのです。
こういうことは、既存のもろもろの構造に大きな影響があるので、すべての希望(という名の見ないで済ませる誤魔化し)が打ち砕かれてしまわないと先には進まないのかもしれませんね。復興とか元に戻すということももちろんですが、何が変わったからどういう新しい仕組みが必要なのか、ということがもっと大事だと思うのですね。
下記のツイートは、元阿久根市長の竹原真一氏と小説家の丸山健二氏のものですが、なかなかに日本の社会というものを考える上で大事なことだと思いました。
・takeharasinichi 竹原信一
被災者は報道関係者には本当の気持ちを言いません。報道されれば虐めにあったり、仕事に差し支えるからです。同じ理由で役人にも言いません。役人が近づけば話題を変えたり、黙ってしまいます。被災者は報道と役人からの被災を恐れています。
http://twitter.com/#!/takeharasinichi/status/71721590068494336
・maruyamakenji 丸山健二
地方の人々はどうしてああも簡単に原発などという危険極まりない怪物を受け容れてしまうのかという都会人たちの素朴な疑問は、田舎で暮らしたことのない者にはおそらく永遠の謎であろう。知性とか理性とかを全面に押し出してはとても生きられない、厳しい状況が幾世代も重ねられてきたせいなのだ。
http://twitter.com/#!/maruyamakenji/status/71377438353010689
・maruyamakenji 丸山健二
暗い影を落としそうな、つまり、公害をもたらしそうな危険極まりない企業が地方にその拠点を構えたがるのは、ひたすら従う生き方のみで世渡りをしてきた癖の抜けきらない、目先の欲に釣られやすい、金銭的にも精神的にも貧しい住民の数の多さと、余っている土地が多いことに目を付けるからだ。
http://twitter.com/#!/maruyamakenji/status/71006404139429888
また、こういう背景があるからこそ、自分で測定せずに済ませる、あるいは、下記のようなことが発生し、先に挙げたお茶の天ぷらを子供に食わせる、というようなことが、嫌だと思う人がいたとしても実行されてしまうのだと思います。
・義援金納めない生徒の名前、黒板に 秋田・大館の中学
http://www.asahi.com/national/update/0521/TKY201105200689.html
新潮6月号の森村泰昌氏と高橋源一郎氏の対談で「3.11後の行動については、何が正しいか、何が間違っているかが、10年、20年経たないと分からない。全員間違っているかもしれないのに、皆で同じことをしようとしているのではないか」という指摘がありましたが、これはまったく正しい指摘だと思います。人と違うことって何、とか、例えそれが見えたとしても、そうするのはなかなか度胸が要る、とか、いろいろあるわけですが、どうやら、先々の結果や他人にどう見えるかなどは気にせずに自分がやりたいと思えることをやる、ってことだと思うわけですね。
かつて広大な領土を保有し、日本にもいろいろな影響を及ぼしたポルトガルは、すっかり凋落していまいましたが、長いスパンで見るとそのきっかけは地震と津波だったんですね。1750年にアマゾン流域の領有権を確保した直後の大地震から200年くらいかかってるんすが、これ、今の世界経済やテクノロジの速度感だとどうなりますかねぇ、、、。
・リスボン大地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/1755%E5%B9%B4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87
日本が3.11の後、下手を打ち続けていると、10年や20年どころではない予感がしますね(笑)。
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