今回の年末年始は、曜日の加減と仕事の都合でけっこうのんびりできて休息になったけれど、テレビはつまらんので本を読んだ。
大晦日から読み始めて、私にしては珍しく2冊続けて一気読み(基本的にジョギングと読書は苦役なのですw)。あっという間に年が明けてしまった。
「サンカーラ この世の断片をたぐり寄せて」(田口ランディ)
3.11以降の筆者の周りの出来事や活動、心の葛藤などを淡々と綴った本。
水俣や歴史的な虐殺等の「暴力」の痕跡を訪ね歩いてきた自身の経験と感覚が、3.11でどう動いたかが書かれている。
その中で、数年前から取り組んできた原子力について、「それが暴力だからテーマとしている」というスタンスは明快。
年代が近い、あるいは同じように田舎から都会に移り住んだ経験がある、などにもよるかもしれないが、共感できるところが多々あった。
「その土地でなければ生きていけない、という感覚は理解できない」というのがその典型。
歴史のある土地だからこそなのだろうけれど、私のように「2代遡れば内地のあぶれ者」である北海道で育った人間にとっては、「ご先祖様に申し訳ない」という嘆き自体が良く分からなかった(北海道の開拓の苦労は知らないわけではないが、それがご先祖様には結びつかないのです)のだけれど、それは自分に限らないということが分かったことで、ちょっとだけ楽になれた気がする。
吉本ばななの小説なんかもそうなんだけれど、淡々と生きていくということの良さというか、それ以外にないでしょ、ということなんだよね。
もう1冊は、福島第一原発の事故対応のドキュメント。
「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」(門田隆将)
福島第一原発所長の吉田氏を中心とした事故対応メンバーの原発事故での苛烈な経験を、関係者へのインタビューを元に書き起こした本。
まさに、淡々と生きるとは対極の世界。
吉田氏をはじめとした東電の現場の方々、自衛隊の隊員たちに感謝と尊敬の念を新たにした。
我々がいま、原発事故の影響はありつつも淡々と生きていけるのは、文字通り命をかけて事故収束に取り組んだこの人たちのおかげなのだ。徒や疎かに「命がけで」(ま、選挙とかね)なんて言えないと思わされる体験が、手にとるように伝わってきた。
現場で実際に何が起こり、プロの判断でどう対処していたか、ということの詳細は、リアルタイムには分からないし、表に出てくるまでには時間がかかる。それは、本という紙媒体を作っているから遅いのではない。ネットなら早いということは、まったくない。
この本で良く分かったことは、東電に批判は多々あるが、現場はプロだったということ。
「官邸から、海水注入を中止しろ、と指示が来たが、その場では了解したと言ったが、実際にはそのまま注入を続けるように段取りをしておいた。とにかく冷やし続ける以外に方法はないのだから」という判断と対応には頭が下がる。我々素人は、福島第一のことしか考えていないが、彼らは、「福島が暴走すれば、周辺一帯が立ち入り禁止区域となり、福島第二や東海村までもが無人になり暴走する。その結果は言うまでもない」ということを意識していた。
吉田氏は2011年の末に食道がんの手術を受け療養中のところ、2012年の夏に脳内出血で倒れ、いまだに闘病中だという。
現場の責任者として引き受けたものの大きさを考えると、簡単に「ストレス」などという安易な言葉は使いたくないが、想像するに余りある。回復をお祈りするだけである。
吉田所長は「無念」と言い残して福一を去ったんですよね。いろいろな意味が込められているんでしょうね。
投稿情報: YI | 2013/07/11 02:40