東京優駿(日本ダービー)も終わり、なんとなく気が抜けそうな状況ではありますが、2013年5月といえば、ついうっかりしておりました。
私にとって人生の師の一人である伊丹十三氏(勝手に師と思って、著書を読んだり映画を見たりしているだけですがw)。彼が生きていれば、5月15日で80歳なのでありました。いわゆる「生誕80年」ですね。64歳で自ら命を絶った(ということになっているw)彼が、80歳の我が身をどう思うかは知る由もありませんが、三浦雄一郎氏のエベレスト登頂などを見るにつけ、そうかこの世代であったのか、もし生きていたらどれだけの仕事をしたことか、と思っている訳です。
ちなみに今年80歳になる同世代の有名人は、例えば石原慎太郎、五木寛之、永六輔など。79歳だと、大橋巨泉、黒柳徹子、宍戸錠などなど。テレビや映画、小説などの文化を作ってきた方々がたくさんいます(ま、便利なサイトがあるもんです。本当はちゃんとウラを取るべきではあれどねw)。
ま、そういうこともあって、「ヨーロッパ退屈日記」であるとか「女たちよ!」であるとかそのほかであるとかを読んでいるわけですが、やはりさすがは師だけのことはあります。電車にもかかわらず吹き出してしまうこと多々。一人で読んでいると腹を抱えてしまいます。1960年代後半の話(私がまだ小学生だった頃)がまったく色褪せていないのは、世の中の本質はそう簡単には変わらないってことなんでしょう。
日本人ってのは、舶来モノの本質を理解せずに取り入れ、極端だの詰まらない工夫だのを突き詰め、独自の変な世界を作り出すことに長けています(ま、明治維新とかねw)。例えば最近ネットで話題の「エクセルを表計算ではなく清書用に使い倒す」(セルを正方形のマス目だらけにして自在なフォーマットで見た目だけ“美しい”文書を作ってしまいデータの再利用が困難になるという本末転倒)みたいな話ですね。
これなんか、伊丹十三の「本質を理解してパクれ!」の一言でお終いなわけです。
ヨーロッパ退屈日記の文庫本の解説に、これも師の一人と思っている山口瞳氏がこんなことを書いています。
「この本は、まだ世俗に汚れていない中学生に読んでもらいたい。彼の生きている様は、まっとうな男がまっとうに生きて行くということについての悲惨な実験を見ているようだ」。
30代半ばにして、あれだけ世の中を茶化し、かつ「ひどく貧乏でもないくせに大変に貧乏臭い中産階級」をバカにしきった成熟。そして何より、それを書き残してくれたことに、改めて感謝なのであります。
(一人もいないかもしれないけど)これを見た中学生諸君! 「ヨーロッパ退屈日記」をぜひ読んでください。高校生になってからでは、もう遅いのですよ(笑)
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