伊丹十三を「ヨーロッパ退屈日記」→「女たちよ!」→「再び女たちよ!」と読み、塩野七生を「ローマからの手紙」→「男たちへ」→「再び男たちへ」と読んでみたが、これはなんというか、とにかく全部若いうちに読め、できれば成人する前に、遅くても20代半ばくらいまでに読んでおきたい、と思ったね。
編集者の仕業かもしれんが(その割にはロングタームだけどw)、この二人のこの3冊ずつはかなりの相似形だ。
ヨーロッパ退屈日記は、若き日の俳優伊丹十三のロンドンでの「役待ち」の生活をなんとも言えないスノッブさで若さゆえに衒いなく書きまくっている。ローマからの手紙は、ローマに単身渡った若い女性のけっこう力みも感じられる書き振りが痛快だ。
「女たちよ!」と「男たちへ」には、今でもまったく変わらない普遍性のあるテーマがこれでもかと書き連ねてある。著者二人の文章も完全に確立した感じがする。
最後の2冊は、ちょっと方向性は分かれるのだけれど、二度目の結婚後でなんとなく楽しげな伊丹十三と、約20年前に今の私と同年代だった頃の塩野七生の考えていること、このそれぞれが手に取るように分かる。20年前ってホントに今と何も変わっていない。失われた20年とは良く言ったものだ。
どの本も、読者がこの年(著者がこれらの本を書いた当時よりも年上になってしまったw)になれば、分かっていることもあれば、大変に共感することもあるのだけれど、「嘆かわしい事とは何ぞや?」(こうあるべき、ではなく、あえてそう言いたい)ということについて明確に答えてくれる文章の数々は、何年経ってもまったく色褪せるということがない。
あえて2冊選ぶなら、「ヨーロッパ退屈日記」と「再び男たちへ」かな?
それにしても、マキャヴェッリ(1469-1527年)ってのは大したもんだね。ヨーロッパ退屈日記どころか、この頃から世の中の本質は何も変わっていない、ってことだ。これは読まなきゃならんな。
最後に塩野七生さん、お誕生日おめでとうございます。
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