最近、気になって仕方がない言葉がいくつかある。
まず、やたらと使われる「とか」。
某所で飯を食っていたら、玄関から顔だけ出して「駐車場とかありますかぁ?」なんて言ってるのがいて、駐輪場があってもしょうがないだろ、なんて思ったのが発端。飲み屋で「ビールとかありますか?」なんてのもいて、これにはかなり呆れた。
なぜ、「駐車場はありますか」「駐車場はどこですか」「クルマ停めたいのですが」「ビールください」などと言えないのだろう。これを「とか式」と命名した。
以下、用例。
・今朝は、富士山とか見えないっすね~w
・映画とか、たまに観るんすよ~。
・自分、アイティーとかに興味あるのでぇ、、、。
・飯とか、もう食いました?
・東京とかに住んでるんスか?(とか式なのか都下なのか不明だ)
ま、婉曲表現のつもりなのであろうと推察するが、バカとか(←とか式)に見えるので使わない方が良いと思っている。
もう一つ、何か意見めいたことを言うときに、最後「かと。」で終わるのを「かと式」と命名した。
オレ、これはかなり苦手w 「思うけどね~」などを加えるとずいぶん印象が変わるかと(←かと式)。
なんでも世の中、批評されることにアレルギーのある人が多いらしいのだけど(「とか式」には何かをウヤムヤにするという点で相通じるものがあるようにも思うが)、一方で「かと式」を使うことには平気な人がけっこう多い感じで、なんか自分のことだけにデリケートで他人には上から目線で断定、というメンドクサさが「かと式」が苦手な主な理由かと(←ここで止めたら「かと式」)思われる。
例えば、批評と批判は違うし、批評されるのは相手にされているわけで、シカト(かと式ではないw)より遥かにマシなんですけどねぇ、、、。などと書くと、「それは考えすぎかと。」などと「かと式」コメントが来たりする。
そして、「それは被害妄想とかかと。」なんてのは、とかかと併せ持ったかなり上級な部類だ。そういうわけで、被害妄想と踵、などと変換ミスが発生したので、このエントリのタイトルに。
気になる言葉づかいってのは他にもいろいろあるけれど、「言葉というものは時代や世の中につれて変わっていくものかと。」(←かと式)なんて思考停止しているのが実は危ういと思うw メディアのシリアスな記事でも「とか式」はかなり見受けられるようになってきた。シリアスな事象を「とか」と言われても、的な。
他に気になるのは、例えば「腑に落ちる」。これは、北海道弁で言うところの「あずましくない」と同様に否定で使う言葉なんだけど、最近(けっこう前からだが)は、納得、得心、理解、良く分かった、なんて肯定で使う人がすごく多くて、どうにも落ち着かない。
「腑に落ちない」ってのは、さまざまな疑問や納得のいかないことについて、口から内臓の間のいろいろな場所で感じられるモヤモヤ感を借りて表現する言葉であって、底の浅い話から、ちょっと深く考えた話まで、あるいは単なる疑問から、なんとなくすっきりしないなど、多様な状況をイメージさせるんだけれど、「腑に落ちる」って言った瞬間にモヤモヤを解決するプロセスの多様性をすべてすっ飛ばした疑問のないゼロイチな状況になってしまうわけで、これは、言葉の持つ本来のポテンシャルを殺いでいると思う。
で、どっかの有名人が何かで「腑に落ちる」って言ったのが拡散して、Googleで上位に来たら、「よし、腑に落ちるを記事タイトルに入れた記事を作ろう」なんてことになってしまうのが、インターネットの腑に落ちないところだww
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