昨日、浮かんだ駄洒落が、Facebookの「過去のこの日」で今日表示されて、今日学(←今日知って驚愕)したw
きっと来年も、「今、初めて思いついた!」などと思って投稿してしまうのだろう。
この手の恒例行事(ってほどでもないが、記念日、命日、ひやおろしだボジョレーだ、ダービーだ有馬記念だ、初冠雪だなどというような毎年回ってくるコト)が妙に多くなってきて、気付いたらそれに振り回されているというか、惰性で続けているというか、やめるにやめられない、なんて状態になってくる、ってのが年を取るということなのだと思う。
覚えてなくて良いことまで覚えているメモリーはないはずだし、いまやるべきことは恒例(おお、高齢と変換されたw)とは別にある、ってことなんだと思うのだが、その優先順位の付け方を間違えてしまうのが、高齢化による恒例化の好例か?
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