大きな湯船で思い切り手足を伸ばし、「あ”〜」(アとウとガの間のような音のつもり)と唸る---。本当に温泉は良いものだ。でも、温泉といってもピンキリである。しっかり休んで、山の温泉でくつろぎたい。
何度でも行きたくなるような温泉の条件はいくつかあるが、私は「源泉のお湯をそのまま引いている」ことを重視している。
大規模な温泉地では、一つの源泉(もちろん湯量は豊富なんだが)の湯をたくさんの宿で利用している。これが必ずしも悪いとは言わないが、湯が足りなくなると、循環させて何度も使うとか、真水を加えて増やすといった方法で、多くの宿に湯が回るようにしがちである。
実際、有名な温泉地であっても、循環・塩素漂白・ろ過という方法で、1週間も同じ湯を使うようなところもあるようだ。とろりとしたお湯の感触は、「さすがは温泉」なのではなく、実は皮脂を中心とする汚れだったりするのである。もちろん塩素で漂白してあるので透明だ。
塩素は水道にも使われているので馴染みはあろうが、温泉の場合、せっかくさまざまな成分を含んでいるのに、塩素を混入することでそれらの成分が化学反応を起こして変化してしまうことにもつながる。
天然の温泉のお湯は、さらりとしていながら良く温まる。何度でも入りたくなるし、とても温まるのに不思議とのぼせない。「身体が喜ぶ」のが実感できる。
いくつか見分けるポイントを挙げてみよう。
・湯が湯船から溢れてどんどん流れている
・お湯を飲めるようにコップが置いてある
・一軒宿である
温泉の風呂に入ると、一見ちょろちょろとしか湯が出ていない場合もある。しかしこれは、源泉の温度と湧出量、湯の引き回し、湯船の大きさなどを勘案した宿の配慮なのである。逆に、派手にお湯が注ぎ込んでいるのに溢れていないのは、循環させているということになる。
温泉には、その温泉の成分の分析結果と効能が貼り出してあるが、たいていの温泉では飲用の効果も書いてある。持病などとの関係で問題なければ、ぜひ温泉水を飲んでみたい。気のせいか、スッキリお腹が空いてくるものである。湯船への注ぎ口にコップがあれば、それは源泉に近いフレッシュなお湯だということである。
山の中の一軒宿は、それだけで惹かれてしまう。源泉のお湯を占有しているので、温泉の質が満足できる確率が非常に高いからである。
温泉の入り方は、何度も入る、長く入るなど、人それぞれだろうが、もし込んでいないようなら、お湯が溢れる湯船の脇に横になってみることをお勧めする。湯船の形や溢れるお湯の量など、これができるところは限られるが、本当に気持ちが良いものだ。
温泉のハシゴもなかなか捨てがたい。オフロードバイクでツーリングしつつ1日に6カ所の温泉に入ったこともあるが、近いところでも微妙に泉質が違ったり、内湯や露天風呂の趣がそれぞれだったりして、なかなか面白い。
ところで最近は、子供の頃から銭湯などには行かない内風呂育ちが増えている。親もきちんとマナーを教えていない場合があるようで、湯船に入る前に「前」を洗わなかったり、湯船の中で顔を洗ったりする不届き者も見かける。これは、まったく困ったことである。
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