学生の頃、バイト代が入ったときにバーボンの「I.W.ハーパー」をキープしたのが、初めてのボトルキープだった。その店は、太ると通れなくなりそうな狭い階段を地下に降りたところにあるカウンターだけのバーだった。店の奥にはアップライトのピアノ(弾いているのを見たことがない)が置いてあり、ジャズが流れていた。オーディオシステムは、アンプにマッキントッシュのセパレート、スピーカーがボーズの901(この組み合わせがジャズに最適とは思えないが…)。こんな金のかかったシステム要らんだろ、という程度に音量を絞ってジャズを流していた。
当時は、今と違って酒を飲むのは月に何回かだったが、飲むときはけっこうな量を飲んでいたように思う。学生の身では、バーでショットで飲むのは割高なので、バイト代があるうちにボトルを入れたのだが、それでも一晩に半分くらい飲んでしまうのだった。
ボトルを入れてしばらくして、その店にまた行くと、バーテンダーはチラっと顔を見ただけで、前回のボトルを出してきた。ボトルのカードもないし、名前も言っていなかったはずだった。「プロだなぁ」と感心したのを覚えている。
で、I.W.ハーパーである。ハーパーは、一般にバーボンと呼ばれているウイスキーの一銘柄であるが、米国で作られるウイスキーが全部バーボンというわけではない。バーボンのレギュレーションは、ケンタッキー州で作られることに加えて、原料にはトウモロコシが半分以上、樽は内側を焦がしたまだ使っていないオーク樽、熟成は2年以上など、米国の法律で細かく決まっている(バーボン樽がその後はスコットランドに輸出されてシングルモルトの樽になる話は「樽は森の恵みです」に書いた。)。
ハーパーは、ケンタッキー州で作られているので正真正銘のバーボンである。ラベルにも「Kentuky Straight Bourbon Whiskey」と書かれている。バーボンは、“Bourbon”と綴るが、これはケンタッキー州のこのあたりにフランスのブルボン王朝にゆかりのある人たちが入植していたことに由来するようだ。綴りといえば、一般にスコッチはWhiskyだが、バーボンはWhiskeyである。
ということで、厳密にはジャック・ダニエルはテネシーウイスキーであってバーボンではないし、原料にライ麦を半分以上使っているライウイスキー(ジム・ビーム、ジャック・ダニエル、ワイルド・ターキーなど、ライも出しているブランドがいろいろあるが)も、バーボンとは呼ばないのである。また、原材料のトウモロコシが8割以上になると、これはコーンウイスキーと呼ぶらしい。
ハーパーを初めて飲んだ時の印象は、「なんだこれ? 変に甘くてジンより不味いんじゃ?」というものだった。今では、あの甘みが何ともいえず、たまに無性に飲みたくなるのである。よく行くバーでも、ちょうど今は、ハーパーを入れてある。
残念なのは、最近の量販ウイスキーでは、アルコール度数が40度というのが主流になってしまったことである。これはウイスキーに限ったことではなく、ジンなどもそうなのであるが、度数だけでなく、それに伴って味も変わってしまっているのである。
ハーパーも、かつては43度だったのが今は40度。ジンのゴードンでは、47度が普通だったのに今は40度だ。今でも、バーでマティニを作ってもらうときは、あるならばゴードンの47度で作ってもらうようにしているが、ない場合もけっこうある。
味覚は、視覚などよりもはるかに強烈に記憶を呼び覚ますことがある(音や匂いもそうであるが…)。20年も経つとこっちの舌も変わっている(ま、荒れたり、奢ったり)ので、「昔の味と違う」とばかりは言えないのだが、スタンダードクラスのハーパーの43度は、もうあまり見かけなくなってしまった。酒を飲み始めた頃に覚えた味が、味わえなくなってしまったのは、ちょっと残念なのである。ま、何を思い出すというわけでもないのだが…。
学生の頃にハーパーを初めてキープした店は、まだ健在だ。帰省したときには、なるべく寄るようにしている。訊きはしないが、なんとなくこっちのことを覚えてくれているような気がする。いつも一人で行っていたが、今でも、そこへ行く時は一人で行く。
※この連載は2004年から2005年にかけて、nikkeibp.jpサイトに掲載したもののアーカイブです。
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