飲食店を始めることを具体的に考え始めたのは、ここ1~2年のことです。Webの仕事はそれなりに忙しくはありましたが、50歳を過ぎて先のことを少しずつ考え始めていたのも正直なところでした。そんなところに、思わぬきっかけで飲食店が浮上してきました。今回は、そのいきさつやお世話になった皆さんのことを。お店を開業できたのは、横浜・日吉のバー、復興ボランティア……、これらのご縁あればこそ、だったのです(冒頭の写真は、初冠雪の後に好天続きで雪が消えてきた富士山)。
今年の2月、富士山麓に大雪が降った。70cmを超える積雪で、1週間くらい外出できなかった家もあったようだ。店は、開店前の改装工事の真っ最中。既存店舗の外側に設置するテラス席の搬入が迫っていた。アマゾン.comで雪かき用のスコップを購入し、それを持って現地に向かった――。
今回は、飲食店を始めるまでのいきさつを書いてみたいと思います。よく「店を出すのが夢だったのか?」というようなことを聞かれますが、特にそういった目標を持っていたわけではありません。
実家は札幌・ススキノの居酒屋だったのですが、それだけに商売のキツさや難しさは分かっていましたし、一方で飲食というのは無くならないビジネスであることも感じてはいました。池波正太郎のエッセイに「戦後しばらくたって、ようやくそば屋などで外食ができるようになって、本当にうれしく心強く思った」というようなくだりがありますが、これを読んで、戦争体験はない私ではありますが、外食できることの喜びについては「分かるなぁ……」と思った記憶があります。
とはいえ都会の生活では、ユーザーの立場から踏み出すことは考えられませんでした。結果的に飲食店を始めることになって「ITだの何だのと回り道をして、結局、飲食店か」という、今は亡き両親の声が聞こえてきそうではあります(笑)。
実は、2011年の夏から3年にわたって、東日本大震災(3.11)で被災した福島の子供たちを富士山麓に呼ぶキャンプのボランティアをする機会がありました。1年目は河口湖の近くが会場で、その時は子供たちとただ遊ぶだけの「野球のオジサン」でした。「富士山こどもの国」で実施することになった2年目、なぜか厨房を任され、3年目には献立作りも含めて担当しました。このキャンプでの10日から2週間、学生ボランティアや他のボランティアの皆さんの力を借りつつ、数十人分の食事を3食作っていて「あれ? 何となくできるかも……」と思ったのが「飲食店プロジェクト」の始まりでした。
このサマーキャンプの主催者で、キャンプを手伝うように声を掛けてくれ、2年目に厨房を任せてくれた人物が、横浜に住んでいた時によく行っていた横浜・日吉にあるバーで知り合った長尾清さん。初めてお会いしたのは、もう15年以上前。現在は富士山麓にお住まいで、物件探しから内装業者の紹介、店舗デザイナーの紹介、実際の店舗の改装などまで、様々な面でとてもお世話になりました。今回の飲食店オープンは、この方のご尽力なしには実現できないものでした。
富士山麓を選んだのは、富士山こどもの国でのサマーキャンプでこの辺りになじみがあったことと、長尾さんが近くにお住まいだったこと、元は喫茶店という適当な物件があったこと、世界遺産に登録されたこと、涼しいところがありがたい――などいくつかの理由が重なっての結果です。もっとも、都会で店を出そうとするとお金もたくさんかかりますので、現実的な費用の範囲でというのも大きな理由ではあります。
田舎暮らしを始めるに当たって、この土地にご縁があったことは心強いものでした。どこかに移住するに際しては、その土地とのつながりはチェックしておくべきポイントの1つではないかと思います。もちろん、まったくの新天地、という選択もあると思いますが。
長尾さんは、福島県の相馬市と南相馬市の復興を支援するNPO「相馬リリーフ311」を立ち上げ、11年から継続的に現地の支援活動をしておられます。長尾さんご本人、およびNPOメンバーの皆さんの広い人脈により、過去3回のサマーキャンプをはじめとして、ポルトガルとの交換留学、米国の農場へのファームステイなど、現地の子供たちを対象にした様々な人材育成支援活動を展開されています。一応、私もNPOのメンバーなのですが、飲食店とWebの仕事とで手一杯になってしまい、申し訳ないことにすっかりコントリビュートできなくなってしまいましたが……。
もともと喫茶店だった店舗は、厨房を広げたり、壁の色などの内装を変えたりするだけでなく、「キューブユニット」という規格モノの構造体を利用して8席分くらいのテラス席を設けることにしました。
これは、標準サイズの立方体の構造体を組み合わせ、そこに窓やドア、天井や床などの仕様を指定してカスタマイズできるという製品です。仕様に沿ってあらかじめ工場で組み立ててから、完成品をトラックで運んできて設置します。
今回は、最小単位のキューブユニットを2個つないだ長方形にしました。これ、なかなかの優れもので、田舎暮らしで(ま、田舎に限りませんが)自宅にサンルームなんかを設置するような場合、普通に作るよりはるかに楽で安く済むと思います。
開店準備を進めていた今年の2月、富士山麓に何十年ぶりという大雪が降りました。それがキューブユニット搬入の前の週。「これはイカン!」とアマゾン.comで雪かき用のアルミのスコップを買い、雪かきをしに飛んで行きました。現地では70cm以上の積雪で、しばらく道路も通じない状況だったようです。
札幌育ちではありますが、ここまで本格的な雪かきは30年ぶり。「内地」の雪は濡れていて重いのでけっこう大変です。高校1年の時に野球で痛めて以来の腰痛持ちなので、腰に注意しつつキューブユニットの分と、そこまでトラックが入れるだけのスペースを半日かけて何とか作りました。
内装では、厨房を広げて水回りを変更し、トイレの洗面台にも温水が出るようにするなど、基本的な設備を充実させました。ガス・給湯回りは、キャンプでお世話になったガス設備会社に依頼。また、カウンター席を新設し、壁を塗り替えて新しいテーブルを入れたほか、キューブユニットの先にはウッドデッキを新設。天気の良い日には外でも食事ができるようにしています。このあたりの作業も、長尾さん(大工仕事がお得意です)と、ご紹介いただいた内装業者の方にお世話になりました。
調理器具や食器、グラスの類いも、いろいろな方に感謝です。業務用の冷凍庫は、廃業した飲食店のものを譲っていただきました。冷蔵庫と冷凍庫をいただいたつもりだったのですが、両方冷凍庫であることが開店直前に判明して冷や汗、急きょ、冷蔵庫は新規に調達した、というオチもあったのですが、それでも高価なものだけにとても助かりました。
食器は、喫茶店だったころのものをそのまま使わせていただいたり、いろいろな方に使っていないものをお譲りいただいたり。また、グラス類は、長尾さんと出会ったバーのご厚意で、使わなくなったものを一部譲っていただきました。だから、グラス、特にウイスキーを飲むグラスは充実しています。
調理器具は、これも飲食店を廃業された方からサマーキャンプ向けに多数貸していただいていたものを、そのまま使わせていただいています。業務用の鍋やフライパン、ザル、ボウル、秤など買いそろえるとけっこうな金額になるものです。食器も同様で、ナイフ、フォーク、スプーンなどをありがたく使わせていただいています。また、以前仕事をご一緒させていただいた方のお知り合いから、大きな寸胴鍋を2本いただいたのも、とてもありがたいことでした。
前述のサマーキャンプでの経験は得難いものでした。50人分を作り続けるのはけっこう大変でしたが、店を始めても「何とかなるだろう」という気にさせてくれました。もっとも、キャンプの場合は必ず食べてくれるので残る心配がなくて安心なのですが、店の場合は、売れるかどうか分からない状況でメニューに載せているものを常に用意しておくわけで、これにはまた別の工夫が必要ではあるのですが。
こういったことを含めて、もろもろ試行錯誤で始めたわけですが、以前に客として食べに行っていたお店のプロのシェフとのSNSなどでのつながりが、ヒントになったり元気づけられたりで、とてもありがたく思っています。
開店前に店に来ていただき、もろもろオペレーションについてアドバイスしていただいたり、休みの日にわざわざお店に食べに来ていただいたり、ショップカードをお店に置いてくださったり。前述の横浜・日吉のバーのバーテンダー、港北ニュータウンのインド人シェフ、恵比寿のビストロの腕利きシェフとソムリエのご夫妻など、本当に感謝するとともに、その腕と本業1本でやっておられることをリスペクトしています。
というわけで、その他にも多くの方々のお力添えをいただいたおかげでここまで来たのですが、横浜に住んで近くのバーに行っていなければ、そして3.11がなければ、こうはならなかったと思われるわけで、何か人生ってものを考えてしまいますね。
次回は、田舎暮らしとはちょっと離れるのですが、個人的な料理のバックグラウンドなどについて書こうと思っています。それでは、次回までごきげんよう。
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