今回は、田舎暮らしとはちょっと離れますが、飲食店を始めるに際して、料理の方はどうやって身に付けたのか、といった話を少しさせていただこうと思います。富士山麓に開いた店では、日替わりのパスタや洋風の煮込み料理などを中心にお出ししていますが、これらの料理は基本的に我流。どこかのお店で修行した経験はありません。中学生の頃に読んだエッセイなどがベースにあります(冒頭の写真は、11月上旬のある晴れた夕方の富士山)。
朝、店に着いたらまずスープを作り始める。例えば、ご近所の方の自家製ベーコンのだしが効いたキャベツのスープ。いったん煮立ったらトロ火にして、ランチ営業開始までの時間で味をなじませる。パスタの湯を沸かし始め、その間に開店前の掃除を完了させる。ブログを更新したりするうちに開店時間だ――。
店では、日替わりのパスタや洋風の煮込み料理などを中心に、自分が食べたいと思うもの、自分がうまいと思うものをお出しています。どこかのお店で修行したなどということはなく、これらの料理は基本的に我流です。
あえて師匠を挙げるとするならば、“街の巨匠たち”でしょうか(笑)。前にも書きましたが、高級店はまず行かないものの、就職してからはほとんどすべての食事が外食だったので、いろいろなお店のやり方などを客席からだけではありますが見て、さまざまな影響を受けています。
食事を提供する側になったのと、外食が減ったのを理由に更新をやめてしまいましたが、携帯のカメラが良く写るようになってからの10年弱、食べたものをブログに残してきました。この「なんとなく『イーティングプア』」 、現在は更新していないので、広告が出るようになってしまい見ずらくて恐縮ですが。
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間か当てて見せよう」とは、フランスの食通ブリア・サバランさんの言葉ですが、ブログには何を考えているかまで書いてありますので、どんな人間なのかはバレバレだと思います(笑)。
この食べ物のブログでは、基本、お店や料理をけなすような内容は書かないことにしていました。ダメなものは無視するだけのことで(徹底的にすべてがダメってのはそうそうないですし)、それなりにどこか1つでも良いところ、あるいは面白いところを見つけてネタにするようにしていました。こういうことを長いことやっていると、例えば「吉野家の、うな丼の経年変化を見る」なんてことも検索一発で簡単にできてしまいますからとても便利です。
ブログ紹介ついでに酒のブログも。こちら「続・Webとウイスキーの日々」では、ウイスキーを中心に印象に残った酒のことを書いてきました。
依然として飲む側でもあるものの、提供する側になったのでこちらも3月以降は更新していません。また「続」というのは、10年くらい前の日経BP在職中に書いたウイスキーについての連載コラム「Webとウイスキーの日々」があるためで、こちらも日経BPとの合意の下、アーカイブして残してあります(2番目の記事から以下、先頭に1-24の番号のあるエントリーです)。
ウイスキーについては、前回、開店に際してグラスなどでお世話になったことを書いた横浜・日吉のバー「画亭瑠屋」の名バーテンダー・長谷川一美さんが師匠です。横浜に引っ越したのが1994年、その直後くらいから通い始めてかれこれ20年。酒に限らず、音楽や映画、人との会話など、たくさんのことを教えていただきました。
よく、「やっぱり居酒屋の息子だね」などとも言われますが、実家は札幌・ススキノで居酒屋をやっていたものの、店に出て手伝うようなことはありませんでした。食べるものにしても、お客さんには出せなくなった臭いホッケの開きとか、表面が七色になったマグロとか、そういった劣化した残り物を食べさせられることはあっても、日常的にはいたって普通の食卓でした。余談ですが、人生で唯一の食あたりは、父の店で残ったカニをもったいないと思って食べた結果です(笑)。
北海道の住宅には、夏以外は常に火がついている大きな石油ストーブがあります。中学生の頃、鶏ガラと豚骨をストーブの上で1昼夜煮てスープを取り、それでラーメンを作った記憶があります。「うまいなぁ……そこらのラーメン屋よりはるかにうまい。でも、これを毎日ってのは勘弁だ」などと考える嫌なガキでありました。カレーなんかも自分で作るのが好きでしたね。あとは、外で食べたピザのトマトソースやジンギスカンのたれなどの再現に凝ったりしていました。
中学生の頃に読んだ伊丹十三さんや荻昌弘さんのエッセイには、食べるもの、食べることについて多大な影響を受けました。今でも、自分の中で基本になっていると思います。パスタもそうですが、コーヒーなんかもまったくそうで、これらの本を読んで中学生のころに覚えた味、やり方がいまだに基本です。
北国では、ストーブでは常に湯を沸かしている(乾燥しますからね)ので、受験勉強の際にコーヒーのドリップをずいぶん研究したわけですね。中学3年にして既に、マンデリンの中深煎りをペーパーフィルターで落とす、と決めていました。今でも、一番好きな豆はマンデリンですね。また、当時買ったフィリップスの電動コーヒーミルも健在。ブラウンのひげ剃りとともに壊れないにもほどがありますね、昔のドイツ製品は。
伊丹十三さんの「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)の山口瞳さんによる解説には、「この本は、まだ世俗に染まっていない中学生くらいに読んでもらいたい」というようなことが書いてありますが、まったく同感です(笑)。
他に影響を受けたのは、写真家で料理研究家の西川治さんの「悦楽的男の食卓」(BRUTUS BOOKS)でしょうか。雑誌全盛のころのお金がかかったムックで今でも大切にしています。横浜に住んでいた頃は、この本を読んでは中華街でアヒルの丸焼きを買ってきてスープにしたり、ラムのカレーを作ったりしましたね。今でも、トマト味のイワシのスープやマグロのサラダなど、この本で知ったメニューは自分の料理のレパートリーに大きく影響しています。
もちろん、参考にしているレシピ本などもありますが、参考あるいは確認のためですね。そっくり同じものを作っても仕方ないですし、上述の何冊かの本の影響力にはまったく及ばないと思っています。
子供ができてからは、朝ご飯を食べさせて保育園に連れていくのが私の役目になりました。その後、小学校6年の時に給食室の改装で急に弁当が必要になり、高校卒業までの約7年弱、毎朝、子供に弁当を作っていました。在職中は、タイムカードのない職場、インターネットでほとんどのことができる部署、といったことが本当にありがたいと思いました。
朝ご飯や弁当作りで一番つらいのは、二日酔いですね。立っているのもキツい、味見すると吐きそうになるなど、何度もありましたが(苦笑)。
朝は、短時間で何品か作るわけで、シリアルに作っていたら時間ばかりかかります。電子レンジ、オーブントースター、魚焼き用のガスグリル、フライパンなどを使って、放っておいて完成するものと火の前に張り付いて作るもの、すべての出来上がりのタイミングがそろうようにパラレルに進行させるわけですね。あと、弁当のおかずは、ある程度冷まして詰めないといけません。
弁当についても、ネタ切れ防止と重複防止のため、またせんえつながら弁当作りをされている方々の参考になればと考えてブログ「20分でお弁当」を書いていました(笑)。さすがにキャラ弁だけは作りませんでしたが……。
こういう感じで、少ない量の調理には慣れていたのですが、前回も触れたサマーキャンプで「量」のインパクトというものを知りました。50人前とはどういうことか、というのを身体で覚えた、といいますか。それともう1つ、キャンプに来てくれた福島の子供たちが、残さず食べてくれたことがとても励みになりました。
例えば献立がカレーライスの晩、ご飯の量は3升炊きの釜で1回炊くだけでは足りなくて、もう3升炊く。スパゲッティの場合は、寸胴鍋2本で合計5kgゆでる。味噌汁やスープは寸胴鍋1本に8割がたの量を作る。これ、かなり重いので食事の場所まで持っていくのが一苦労。といった量や材料などについての数々の感覚やノウハウです。
当然ながら、1人では全部に手が回りませんので、何をどう分担するか、どこがボトルネックになるから何をどういう順番で進めるか、といった段取りの点でも相当鍛えられました。
そんなキャンプでの経験が生きたのが、今年の8月末、富士山麓を一周するマラソンのイベントからいただいた食事の注文でした。オーダーはマーボー豆腐100人前(笑)。挽き肉4kg、豆腐40丁、ネギ20本などなど、普通は肉や豆腐の量からして、ちょっと見当がつかないと思います。食材は、いきなり買いに行ってもない可能性が高いので、近所のスーパーに事前に予約。前夜に受け取りに行きました。
量が多いときは、一遍に作ると、失敗したらリカバリーが効きません。また、マーボー豆腐の場合、豆腐が細かく崩れてしまっておいしくありません。とういうわけで、中華鍋の容量も勘案して10人前ずつ10回に分けて作ることにしました。こうすれば、味のバラつきがあったとしても、修正が効きます。また、辛口と中辛などを作り分けることも容易です。
この時は、さすがに1人では時間がかかりすぎるので、キャンプで一緒に厨房を担当したボランティア仲間の大学生T君に手伝いに来てもらいました。まずは、ニンニク、ショウガ、ネギといった材料を刻むのが最も時間を要すると考え、その作業を中心に最適なオペレーションを考えてから取り掛かります。1回、2回と10人前ずつ作ってみて、回数を重ねるごとにだんだんスムーズになり、無事に辛口50人前、中辛50人前を時間内に作って納めることができました。
こうやって振り返ってみると、何だか人生に無駄なことはないもんだな、と思いますね(笑)。そういうわけで、これらのいくつかの経験や思い込みなども含めて「我流」なわけです。だから、「本格」や「正統」ではなくて、あくまで洋風の家庭料理の延長であって、最上級ではないけれど少なくとも自分が食べたいと思えるもの、おいしいと思えるものをお出ししています。
最近、明らかにみじん切りなんかが上達したのを実感します(笑)。上達というよりは、短時間で丁寧にやることが当たり前になった、という感じでしょうか。
次回は、この連載も月2回ペースで来て12回目になりますので、いったんの締めということで(ネタも一通り出ましたので年明けから月1回ペースに)、田舎暮らしで自分が、あるいは自分の中で何が変ったか、について書いてみたいと思います。それでは、次回までごきげんよう。
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