毎日新聞がこの年末年始から始めた連載「ネット君臨」が、ブロガー諸氏を中心に各方面で批判されています。
(Webは、http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/)
ネットの暗部や問題点を取り上げること自体は、悪いことではありませんし、ごくわずかな例から「大変だ、大変だ」と警鐘を鳴らすこともメディアの役割ではあるわけです。
しかし、それをするには、その世界のことをある程度知ってないとかなり調子が悪いことになってしまいます。
メディア系のブロガー諸氏からは、
「相変わらず、ネットを体感せずに“高み”から書いている」
「メディアが自分たちの情報コントロールが利かなくなっていることに焦っているだけ」
「ネットを知らない人がやっている、という点で、オーマイニュースと変わらないのでは」
「会社に守られていた人が、ネットの“平場の殴り合い”にびびってるだけ」
など辛辣なコメントが多く見受けられます。
今の状況は、マスメディアのコンテンツをきっかけに、ブロガー、取材されて紙面に登場した人、メディアの当事者などが、自分のブログ、mixi、自分が普段参加しているコミュニティなどで、同時多発的になんのコントロールもない状態で自由に情報や意見を発信している、という状態にあります。
一つのスレッドの中での議論でもなく、誰がどこで何を言っているのかが、自分が知っている範囲でしか分からない、という状態であって、「俯瞰して全容を把握する」といった従来型の価値判断のための方法がまったく使えません。
これは、一方的に情報を発信することに慣れていた既存メディアにとって、非常に気持ちが悪い状態であることは理解できるのですが、実際には、もう3年くらい前から程度の差はあれ、こうなっていたわけで、取り上げるテーマやトピックとともに、今回の毎日新聞の企画は、ちょっと周回遅れな感じがしてしまいます。
全国紙であれば、想定読者がネットにどっぷりな人、ということはあり得ないので、想定読者と活発に反応する読者層がまったくかみ合っていない、という見方もできますが、それを言ってしまっては、いつまでも何も変わらない、とも思います。
一方で、我々、読者の側としても、全容(何を以て全容というか、なんですが)を把握できないことを普通のこととして受け入れざるを得ません。数人集まって、持ち寄ったそれぞれの情報をつなぎ合わせてみてようやくなんとなく見えてくる、というような感じだと思います。
とてもじゃないけれど、一人で「俯瞰」などできないわけで、割り切ってどこかのコミュニティなどに身を置いてそこに流れる情報をベースにすること、あるいは知らずに済ませる、という以外には現実的な解はないのですね。
もっとも、これまでだって、全国紙4紙を読んで俯瞰したつもり、読んだ上での議論はネットに上がらないので検索不能で知らずに済ませられた(存在しないのと変わらない)、というようなことだったわけで、それがネットで見え始めただけであって本質的なところは同じ、ということも言えると思うのですね。