インターネットというものは、何のためにあるのでしょう?
「そりゃ、情報インフラでしょ?」って言ってしまえば、話はとても簡単になってしまうんですが、その「情報インフラ」は何のためにあるのか、もうちょっと考えるとなかなか面白いと思います。
僕は、メディアの会社に所属していわゆる「Webメディア」の運営をしていたことがあるので、ネットはメディアのためのインフラ、もっと言えば広告のためのインフラかもしれない、と思っていた時期もありました。
その後、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やML(メーリングリスト)などのコミュニケーション・サービスを使っていく中で、ネットは「コミュニケーション・ツールである。コミュニケーションのインフラである」ということに確信を持ちました。
同時に、BLOGに代表されるCGM(コンシューマ・ジェネレーテッド・メディア)の広がりを見て、ネットが広告で成立するメディアのインフラ、特にマスメディアのインフラであるというのはちょっと違うんじゃないか、と思い始めました。もちろん、メディア各社のニュースサイトなどを持ち出すまでもなく、ネットにメディアインフラとしての機能はあるわけですが、それがネットのアドバンテージを最大限に生かした使い方なのか、という点では疑問が残ります。
どういうことかというと、全てがデジタルに計測できる(もちろん、原理的に分からないこともありますが)ネットの世界では、広告の露出頻度やその効果について、本来のデータが見えてしまいます。どんな指標で何を判断するかは別問題としてありますが、この数字のゴマカシが利かない点は、広告の効果というものを厳密に検証させます。
その結果、数字を追求するために、手段であるはずのいろいろなことが目的化してしまい、本来のメディアの姿が荒れてしまう、という状況に陥りがちです。バナーだらけのWebページをはじめとして、本来は手段であるはずのSEO(サーチエンジン・オプティマイゼーション)が目的化したサイト、リスティング広告だらけでどこに何があるのか分からないサイトなどなど。
誤解を承知でいえば、イメージ広告とかブランディング広告といった、紙媒体(部数と見ている人は別だし、必ずその広告を見る訳でもないはずだが、それをある程度承知の上で使っている)では通用していた広告の論理がネットでは通用しなくなってしまう、ということだと思います。
CGMで見えてしまった「優秀な書き手はメディアよりもむしろネットに居る」という事実とともに、ネットは既存の商用メディアのインフラとしてはあまり大きく評価すべきではないと考えています。
そして最近、FX(外国為替証拠金取引)を始めて痛感しつつあるのが、インターネットは本当は「投資のツールである」ということなのです。
インターネットやパソコンは、「ミッションクリティカルな業務には使えない」などと言われた時期もありますが、ブラウザベースで世界のあらゆる通貨ペアのレートがリアルタイムに確認できて、しかも、リアルタイムに売買の注文が可能、さらに、その結果もリアルタイムに個人の口座情報に反映される、それが24時間動いている、というシステムの存在が、インターネットを最強の投資ツールにしていると思います。
日本の事情にはおかまいなく、ニューヨーク市場の都合で日本時間の午前3時、4時に世界中の為替や株価が決まっています。世界は、インターネットを通じて金融という「共通言語」で24時間つながっている、という実感です。本当に寝ている暇はないと感じます。
今のところの僕の結論は、インターネットはコミュニケーションと投資のインフラでありツールである、というものです。そしてこれら二つはいずれも、睡眠時間を遠慮なく削ってくれますね(笑)。